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職場でばらまくようにチョコレートの袋詰めを買ったくらいです。黒巳です。
全員の机上に配り終えてぴったりで終了し、ちょうど良かった、と思った直後にボスの分が無いことに気づいた黒巳です。ボスには自分のおやつ用にバレンタイン売り場で購入したチョコレートを渡しました。
先日鎌倉に行った際、文学館でやっていた愛の言葉みくじが楽しかったので、折角のバレンタインに何かしたい、と思いました。とりあえず、文学館にならって手元からすぐ出る範囲の愛についての言葉を引用してみる。
割と節操のない引用ですが。
―クマのように硬く厚い毛皮ならば、人間の官能はよほどちがったものであったにちがいない。人間は薄く滑らかな皮膚を愛し合っているのだ。
『雪国』川端康成
―すなわち愛とは―その手段においては戦いであり、その根底においては両性間の命がけの憎悪である、と。
『この人を見よ』ニーチェ
―「生きている限り愛し合おうという約束をして満足をしている人たちに、私のあなたを思う愛の深さはわからないだろう。私は来世に行ってまであなたと愛し合いたいのだ」
『源氏物語』 与謝野晶子・訳
―その怨みゆえに鬼と変貌した一人の人妻が変貌ののちに見たものは、悔しくも変貌しきれぬ夫への恋着であり、愛執であった。とはいえ、それがどう解決のつくことであったろう。鬼になっても、ならなくても、愛すること、愛されぬことはけっして解決のない心の闇に属することなのであって、女にはいっそう厳しく、変貌をとげてしまった現実だけが残ったにすぎないのである。
『鬼の研究』馬場あき子
―「そのもっとも原始的な形態において、愛欲は食物の摂取と直接に結びついている」とジャン・ロスタン氏は言う、「それはいわば、自己と全く同一ではない、未知の神秘な魅力を示している同類の方へ向かって惹きつけられる、存在の飢えともいうべきものなのである。…」と。
『アンドロギュヌスについて』澁澤龍彦
―一体、愛の経験は、あとではそれがなくては堪えられなくなるという欠点を持っている。だから主人公たちは大抵身を持ち崩してしまう。
『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』稲垣足穂
これにて終了。アシャちゃんつかいまわしてごめんね。
自分の中でみさをさんのイメージがなかなか固まらなくて、異常に時間がかかりました。執着の主体がはっきりしないんだよな。
みさをと青蓮は表裏の存在なのですが、どっちが表というんでもなく。そして二人とも愛した人に対する執着がなんだか妙な感じに化けてしまって鬼になってしまいました。実際に二人とも半分は鬼になってしまったようなものです。その執着は愛に対する執着だったのだと思います。
方言に苦戦しながら続きです。ついでに冒頭も少し修正しました。
短い話なので、次で終わります。
全然違う話ですが、今白川静の「回思九十年」読んでいて、なんというか、本当にこの人すごい。この方の漢字の話はぞくぞくします。古代的なもの、神にまじわる狂気みたいなものを想像するとその「凄さ」に圧倒されます。現代の人で古代の手法を持っている人というのは、なんなんでしょうね。勉強して身につけるものでもあるのでしょうが、やはり何かすぐれた感覚を持っているのではないかと思う。白川さんのは執念という気もしますが。
大分前に書き始めて放置していたもの。いい加減にしないと出せなくなると思い、放り込むことにしました。一応季節も今頃だし。
続きを頑張るためにも出します。下書きはできているんだ・・・。
話題にしたことはあるけれど、多分みんな忘れていたみさをさん番外編。
意外に難産でした。
書けた。
間に合いました。この間から急に寒くなりまして、一気に秋めいてきました。今日の月はきれいです。
今回すごくすいすい書けました。この間まで書いていた物がものすごく難産だったものだから余計に。久しぶりにこういう感じの話を書いた気がします。なんにも考えずに書けました。軽いノリで読んで下さい。