暑いわ!
梅雨の割に水不足な気がするので、雨自体は歓迎ですが。しかし近畿的には琵琶湖周辺さえ降っていてくれれば安泰なわけで。
滋賀の子の決めぜりふ、もとい、脅し文句は「水止めんで?」
琵琶湖は近畿の生命線。
そんなわけで、雨っぽい湿っぽい作品を今の内に置きに来ました。
続きは早く出せるように頑張ります。
青蓮さんのターン。
鉛色の空から絶え間なく落ちてくる雫が、土や樹木の上ではじけて、ざあざと音を紡ぎながら天と地を繋ぐ糸を形成している。それを呑み込んだ河は膨らみ、その流れを急にしていた。
そこに杖が差し込まれ、暫く探ってからざぶ、と引き抜かれる。
「参ったね。このところの雨で、いいように深くなってるよ。ここも渡れない」
手甲を着けた手で、笠を心持ち上げてその流れを見つめながら、女が嘆息を漏らした。
「どうしよう。引き返す?」
その右隣から同じように河をのぞき込んで、幼い声でそう言った子供は、頭から胸までをすっぽりと覆う、人形師のような頭巾を被っていた。ただ人形師のそれと違って、それは卯の花のような白い色をしている。
「いや、こっちに小屋があるぜ。人は居ないみたいだ」
二人の居た場所から二十歩ほど離れて左、木々の間から、もう一人、少年が姿を見せた。やや大きな頭巾が耳まで覆っていて、二人と同じく旅装束だ。身軽に二人の所まで戻ってくると、今し方自分の出てきた方を指さした。成る程、そこにはやや古い、物置かと思われるような掘っ立て小屋があった。
「ああ、これなら雨をしのげるね」
予想よりしっかりとした小屋の中を見てそう言った青蓮は、ほっと息を吐いて笠を脱いだ。
「青蓮さん。これ脱いで良い?」
先に入って、彪と一緒にうろうろとしていた架楠が、被っていた白い頭巾に両手を当てて尋ねた。
「良いよ。ここは暫く使われていないようだし、道からも外れているから、そう人が来ることもないだろう」
「やった」
「あっ、俺も」
返事を受けて、いそいそと頭巾を持ち上げた架楠に倣って、彪も頭巾を脱ぐ。
頭巾の下からは、彪は角、架楠は薄い藁色の髪が、それぞれ現れた。
濡れた頭巾を小さな手でぱたぱたとはたきながら、架楠は呟いた。
「頭が蒸れちゃう」
「火をおこそうか。そいつも着物も乾かさなくちゃならないからねえ」
苦笑して、湿って膨らみをなくした架楠の癖っ毛を撫でながら、青蓮は言った。彼女自身の巫女装束も、背中を覆う黒髪も、しっとりと濡れている。
幸いにも小屋の隅に、既に半分剥がれかけている板があったので、それを引き剥がして早速火が熾された。子供達の、人とは異なることを隠すための頭巾も、他人の居ない今は広げて乾かすことが出来る。
「良かった。ここが見つからなかったら、夜が来る前に、引き返さなきゃならないところだったもの」
大きな空色の瞳を細めて、架楠が言う。
「俺が見つけて良かったろ」
「そうだね。彪はお手柄だよ」
「彪は目が良いよね」
「おまけに行動力もあるから、気付いたらいなくなってるんだよねえ」
火色に顔を照らされながら、しとしとと囁く雨音を聴く。会話は自然に立ち消えて、雨に体力を奪われた子供達に、青蓮は早めの睡眠を勧めた。
「まだ眠くないぜ」
「良いから早く寝な。私は火を見てるから」
人間に比べれば、底なしの体力を持つ彪がぐずるが、青蓮は聞く耳を持たなかった。
「ねぇ。じゃあ青蓮さん、子守歌歌ってよ。お母さんに歌ってもらうと、僕はすぐ眠くなったよ」
架楠の無邪気な提案に、青蓮は少し困ったような顔をした。
「子守歌ねえ。随分昔のことになるから、上手く歌えるかどうか……」
「青蓮も母ちゃんに歌ってもらってたのか」
「そりゃそうさ。小さい頃にね」
「ねぇじゃあ歌って」
架楠の催促に、結局青蓮は折れることになった。
二人の子供はすぐにうとうととし始めた。温かな想いに、青蓮は頬を弛める。しかしそれとは反対に、彼女の心の一部はひどく冷えていた。
こんな風に、子供を見詰める日が来るとは思わなかった。
親を亡くした子供達を、拾うことになるとは思わなかった。
自分は母になどなれないと思っていた。その資格を失ったと思っていた。
子供達の寝顔に重ねて、青蓮はその日を思い出す。
***
青蓮が生まれたのは、近隣では一番大きな村だった。生まれてからその日まで、彼女はその村を離れたことはなかった。
その頃の彼女の名前は、青蓮ではなかった。
少女であった青蓮は、その村一番の豪農の息子と恋仲であった。
家の人間には、そうそう認められる訳もなかったが、恋人の説得と、青蓮の気だての良さに、徐々に打ち解けていき、彼女が十三の年には話がまとまる兆しが見えていた。
ところが、その年彼の父が突如行方不明になるという事件が起きた。神隠しかとも騒がれたが、何が起こったのかは分からないまま、とにかく彼が当主とならなければいけないという現実は確かだった。急に彼との距離は引き離され、あれよあれよと言う間に、彼は隣村の、やはり裕福な家の娘と結婚させられていた。
元々家の違いは分かっていたから、泣いてすがったり嫌がらせをするような、無様なまねはしなかった。
大体そんなことをしなくても、彼の心は変わらず青蓮のものだったのだ。
密やかな逢瀬が繰り返された。
彼の妻の腹が膨らみ始めても、危機感はなかった。
家には後継が必要だ、仕方がない。
彼の愛が得られているのなら、自分は一人で生きていこうと構わない。
彼に息子が産まれた時は祝いの言葉を述べた。天候に恵まれず、不作続きの折りではあったが、大きな宴が催された。
父親になった彼は、本当に嬉しそうで、青蓮も喜んだ。
―しかしその時から、青蓮の家から彼の足は遠のいた。
すまない、と彼は言った。子供の顔を見ると、行くなと言われている気がするのだ、あの子に幸せな家庭を与えてやりたいと思うのだ、と彼は言った。もうこれきりにしよう、と。
恋人は父親になったのだ。
フォントがあぁぁ~。工夫しても全部ダメになる。
そして今日は学校が休校です。
新型インフルエンザが遂に京都でも発見されましたので。朝早くにクラブの人から連絡貰わなかったら、普通に学校行っていたと思います。情報遅い。
兵庫、大阪ときて、京都くる京都くるって言ってたら、飛んで滋賀、ついで東京・神奈川ときて、あれ~?と言っていたら、ようやく京都です。
とりあえず自宅謹慎とのことで、今日一日は引きこもるつもりですが、それとも引きこもるための食料買いだめをしておくべきかしらん?ひきこもるなら徹底的に、と言いたいところだが、まあ無理でしょう。
皆も気をつけて!
翌朝、サンタは架楠の元ににぎりめしを持って行ってやった。旅用の日持ちする食料ばかりでは、味気なかろうと思ったのだ。
昨晩と同じ場所にサンタが行くと、架楠の声が木の上から降ってきた。
「おはようございます。昨日の夜は、結局お星様見つかりませんでした」
そう、挨拶と報告をしながら声に続いて降りてきた架楠に、サンタはにぎりめしの包みを渡してやる。
「別にそんなに簡単に見つかるとは思ってないし、本当に会えるかどうかなんてわからないしさ」
だからそんなにまじめに探してくれなくて良い、と伝えるサンタに、架楠は「でも、」と声を上げる。
「約束の星が流れたのでしょう?あの星なら僕も見ました」
「そうはいっても、まだ二日有る」
昨夜不可解な台詞を放った架楠に、どういう意味かと問うと、家族に鬼がいるのだと架楠は言った。人の多いところが怖くなっていて、おまけに目立つ自分は、町に家族が寄っている間、ここで待っているのだという。
不思議な彼の話につられたのか、子供相手で気がゆるんだのか、サンタは父が自分にしてくれた話を語った。
父の話によれば、お星様は、尾を引く星が流れたら三日以内にこの山に再び訪れる、その時また会おうと告げたのだそうだ。
ちょうど三日ほどはここにいる予定だから、お星様を探すのを手伝いますと申し出た少年は、果たしてどの程度までサンタの話を信じているのだろうか。
「君の家族って、何しに町に行ってるんだ?」
「お金を稼ぎに。それから頭巾とか買ってきてくれるって言ってました」
僕はご覧の通り目立つ外見ですから、と架楠は続ける。
「彪は角を隠すだけだから、頭に布巻いてればいいんですけど」
彪というのは例の鬼なのだそうだ。この話に関しては、サンタは真偽はどちらでも良いと思っていた。聞いていても実感が湧かないし。
それから、やはり星は夜でないと見つからないものだろうか、とか高いところに引っかかっていたらどうしよう、なんて話をした後、サンタは仕事に向かった。
仕事が終わって、家に帰る前にもう一度架楠に会いに行くと、丁寧ににぎりめしの礼を言われた。添えていた漬け物がえらく気に入ったらしい。
闇の中、色の薄い架楠の目は、わずかの光でもよく見えるようで、帰りは道まで危なげのない足取りで先導してくれた。
明日もまた来ることを約束してサンタが家に帰ると、父は朝出掛けに見た時と同じ場所に座っていた。
「父ちゃん…?」
その場の空気がまるで壊れ物ででもあるかのように、そっと声を掛ける。
壁にもたれた父の顔をのぞき込む前に、本当は分かっていた。
次の朝、サンタは架楠の所には行かなかった。
近隣に親戚はいなかったので、納骨に集まったのは、サンタ以外は皆近所の人間だった。簡単に経をあげてもらい、土中に埋めてしまえばそれで終わりだった。
全部終わって、はげましや慰めの言葉を掛けてくる近所の人間が全員去ってから家に帰っても、まだ夕暮れにもなっていなかった。
納骨の前にひとしきり泣いて、いつのまにか涙は乾いていた。なんだかやたらとだるかった。
予感はしていた。だからといって準備が出来ているわけもなかった。
準備をしていたのは父の方で、彼の使っていた棚の引き出しに、いくらかの金子が包んであった。以前から、自分が死んだらこれで葬式を出してくれと言っていたものだ。
今座り込んだら立ち上がれなくなる、という確信だけあった。
土間に立って、小さな部屋をぐるりと見回してから、サンタは家を出た。
他に向かうべき所も思いつかなかったので、山に向かう。足取りが重たくなるのが嫌で、振り切るように足を前に出すと、今度は早足になる。
普段、どうやって歩いていたのかが分からなかった。
いつも、何をどんな風に見ていたか分からなかった。
しかしいつもの場所に架楠の姿はなかった。焚き火の後もきれいに消されている。
常にこの場所にいるはずがないと分かっていたが、途端に寂しくなった。
捜せばまだこの山に居ると思うが、それすら確かなものではないのだ。
ぐるりと周囲を見回す。
夕日の色に染められた風景。影は長く地の上で引き伸ばされている。
その場に座り込むこともせず、かといって架楠を捜しに向かうわけでもなく、サンタは唯その場に佇んでいた。
頭が働かない。その方が良かった。
考えることが怖かった。その先に必要のない恐怖を見出しそうだったから。だが思考を放棄したことで、正体の分からない、その先にあるかもしれない何かに対する不安は背筋に残った。
ぼうっ、と、馬鹿みたいにその場にたっている間に日は沈み、あっという間に景色は暗くなっていく。
どこかで適当に区切りをつけて帰ろう、と思っているのだが、何となくきっかけがつかめないまま立ち続けている。
その空気を断ち切ったのは、生き物の気配だった。
サンタが来たのと同じ、つまり道のある方向から、一人の少年が姿を見せたのだ。
サンタの立っている開けた場所に出てきた少年は、サンタを見て、きょとんとした顔をした。
一瞬、架楠かと思ってそちらを向いたサンタと目が合った。健康そうな赤銅色の肌をして、頭にはぶかぶかの頭巾を被っている。
頭の働きの鈍っているサンタには、それが誰だかすぐには思い当たらなかった。
「お兄さん、この辺で俺と同い年くらいの子供見なかった?」
その台詞を聞いて、遅まきながら気付く。
「きみは、彪、くんか?架楠の家族だという…」
鬼の、という言葉は飲み込んだ。
「架楠に会ったのか?今どこにいるのか分かる?」
彪は質問には答えなかったし、どこまで聞いているのかも尋かなかった。
「分からない。オレも、会いに来たんだが…」
「どこ行ったんだろ」
彪は首を傾げる。サンタはようやく、もしかして架楠は星を探しに行ってくれているのではないか、という可能性に気付いた。
何となく、沈黙が立ち込める。
「サンタさん?…彪!」
木々の間から出て来たのは、今度こそ架楠だった。
「架楠、明日の朝出発だ。山の麓まで迎えに来るから、その時はこれ被って来いよ」
そう言って、彪は架楠に長い垂れの付いた頭巾を渡す。たしかにそれなら髪も目も隠せるだろうが、少々目立ちやしないかとサンタは思う。
「分かった。ありがとう。…サンタさん、そう言うわけで、朝は早く発つことになるので、今日でお別れですね。その、お星様は、まだ見つかってないですけど、今日いっぱいは探してみるので」
「それは、もういい」
「え、まだ時間はありますよ」
大きな目をぱちりとしばたたかせて、架楠は言う。
「父ちゃんが、死んだんだ。だからもう、お星様を探す必要はない。…意味がないんだ」
静かに、二人の少年が息を呑んだのが気配で分かった。サンタはさっきから目を地面に向けている。
ちょうど、その頭上に、降るように、声がした。
「なんじゃ。のうなったか」
三人が声の発生元を探して上を見上げると、サンタの真後ろの木上に、白い人が居た。
闇の中、浮かび上がる白はそれ自体が発光している。
ふわりと広がる量の多い髪は、かかとまであるだろうか。
白い着物、白い肌、白い髪。
どれをとっても太陽に照らされている真っ最中の雪のように光っている。
明らかに人間ではなかった。
「まさか。………本当に、父ちゃんの言っていたお星様なのか?」
動揺に揺れる目でその白を見つめ、かすれた声でサンタが問うた。他の二人は声を挟まない。自分たちが部外者であることを承知しているからだ。
「わしが四十二年前に約束した男が、お前の言う父ならな。よう似ておる。きっとそうじゃろう。しかし、せっかく来たというのにのう。のうなってしもうたんではしようがない」
やれやれとでも言いたげに、つまらなさそうに『お星様』はそう言った。
「一日で良かった。もう少し、早く来てれば…」
「お前らの都合なぞ知らん。こちらは約束通り三日以内に来たのじゃぞ」
「父ちゃんは、あんたに会いたがってた」
「わしもじゃ。でなくば再会の約束なんぞせんわ」
「じゃあ、なんでそんな何でもなさそうに言うんだよ!なんでそんな平気そうなんだよ!」
叫んだ。突然現れたものに対しての怒りは、半分くらい理不尽なものであると、サンタだって思っている。八つ当たりに近い。けれど抑えられなかった。
「八つ当たりをするな」
そんなサンタの心中を見透かして、『お星様』はにやりと笑った。口が頬の半分以上まで裂ける。
「会えないのは残念だが、しかしまあどうと言うこともない。お前ら人間の寿命が短いことなどよく知っておる。そんなものにいちいち痛痒を感じたりはせん」
サンタは言葉をなくした。
くくくと、喉をふるわせ笑って、『お星様』は、彪に顔を向けた。
「お前も、まだ若かろうがそんなことくらいは分かっていよう?」
鬼の仔は顔を顰めた。
「同族か」
「そうじゃ。そこの人間の父親には星などと呼ばれたがな。こんな所で何をしているか知らんが、お前もすぐに、その横の坊やと別れることになる。分からんということはあるまい?」
彪は架楠の顔を見やって、困ったような表情をした。
「だけど、」
架楠が声を出した。
「そんなのは、人間同士だって、同じです」
言って、真っ直ぐに彪の目を見る。
「ああ、そんで俺達だって、同じだ。別れは来る」
彪も、彼の目を見てそう返す。
今まさに、一人の人を失ったばかりの人間が、そこにいる。
「だから俺は、今架楠と一緒にいるし、別れるときは悲しむぜ」
「僕も、別れるたびに悲しむよ。何度別れを体験しても、きっと」
あなたは悲しくないのですか、と見上げた架楠の青い目に問いかけられて、『お星様』は首を傾けた。
「そう、それもありじゃろう。悲しめるんならな」
そしてまた笑う。
「わしはもう行く。あ奴に会えんのなら、ここにおっても意味はない。単なる戯れではあったが、わしもこの日を楽しみにしておったよ」
後半は、間違いなくサンタに向けた言葉だった。その真意は、人間であるサンタには測れなかったけれど。
それからすぐに、彪はもう一人の家族が待つ宿に帰っていった。
サンタは何となく、その場に残って、焚き火をおこして晩飯の支度をする架楠を手伝って、そして、結局朝までそこで過ごした。
「おはようございます」
サンタが目を覚ますと、架楠はもう旅の支度を調え終わっていた。
「僕もう行きますね。おにぎり、本当にありがとうございました。それでは、さようなら」
そう言って、立ち上がる。サンタも一緒に立った。
「ああ、またな。…家族によろしく」
「はい。また」
そう言って、朝日の下できれいな笑顔を見せた後、すっぽり被った頭巾で、架楠の顔はすっかり見えなくなってしまった。
胸まである布ごしに、架楠はサンタを見て、軽いお辞儀をした後、山を下りていった。
その後、サンタは父の墓前に真っ白な花を見る。えらくかわいらしいそれを見て、サンタは顔をほころばせた。
「お、来た来た」
「お待たせ、行こうか」
「ああ、架楠、その布、前が見えにくくはないかい」
「大丈夫、薄い生地だから。ありがとう、青蓮さん」
「いや、いいさ。そう言えば、星にあったんだってね」
「うん。山の中で野宿してたら、突然知らないお兄さんが来て…」
青空の下、巫女と少年と鬼の仔の家族は楽しそうに寄り添って言葉を交わす。
星に願いを─
─そして星の願いは?
了
念のため、尾を引く流星=彗星です。
鬼子流離譚の二話目です。長さ的に今回は二つに分けておきます。ちょっと後半の長さがどうなるか分かりませんが。
とりあえず今回は架楠のターン。でも主人公はいきなり別人です。
星に願いを─
お星様に会ったことがあるのだ、というのが、サンタの父ちゃんが度々息子に主張するところであった。
「夜の山ン中で輝いとって、近づいてみりゃ人の姿をしとるんじゃ。じいちゃんの髪よりもっと白い、えれえきれえな髪じゃった。見た瞬間に、わしはお星さまが空から落っこったんじゃと思うた」
サンタの父ちゃんはお星さまと再会の約束をしたのだと言っていた。
土砂崩れに巻き込まれて、片足が動かなくなったサンタの父ちゃんは、ある日ぽつりと、もう会いにゃあ行けねえなあ、とつぶやいた。サンタは黙って晩飯の用意を続けた。
それから毎晩、サンタはことあるごとに空を眺めるようになった。お星さまが落っこちてきやしないかと思ったのだ。あれからめっきり元気がなくなって、町に出て男手一つでサンタを育ててくれた、力強い父ちゃんの影は薄れていくいっぽうだ。じっと座っている時間が次第に増えていく父ちゃんに、お星さまが会いに来てはくれないかと、そう思ったのだ。
今日もサンタは仕事からの帰り道に夜空を見上げていた。
家には父が一人で待っている。
朝見た場所から一歩も動いていない、なんてことがないように、とサンタは心の中で呟く。父の食は細くなる一方で、排泄に立つ回数も減っている。ああまずい傾向だ、とサンタは思う。
昔病で亡くなった祖父もそうやって弱っていったのだ。
まず動かないのがよくない。歩かなくなると老化が急に進む。排泄の回数が減れば、もう死期が近いのだ。父には明らかに先が無かった。
町の通りからは外れているので、人にぶつかる心配もなく、のんびりと空を見ているサンタの目には、降るような星空が映っている。
今宵は新月だ。星々がここぞとばかり、一際に自己を主張している。
「あ、おちた」
一晩空を眺めていれば、目の良い者なら一度は流れる星が見られる。けれどもそんなに暇な奴はそうそういない。サンタも久しぶりに見た流星に思わず声を上げた。
星はすう、と尾を引き、吸い込まれるようにして、夜空を切り取る黒い山影に消えていった。
幼い頃から見慣れた山は、夜になると、夜空の輝きを妨げる重量感のある影となる。
「あの山……」
町の北側に連なる山三つ。その中で一番背の高い右端の山に、流れた星は遮られて見えなくなった。
吸い込まれるように。父が星に出会ったあの山に。
ふらりと、サンタは山に向けて足を踏み出していた。
夜の山の中は深い闇だ。
サンタは山に踏み込む前に、適当な太さの枝を拾い上げ、携帯していた火打ち石と火口金を使って、松明もどきを作った。
山中に住んでいる者はいないが、山頂には祠があり、人の出入りもそれなりであるために、しっかりと道はできあがっている。サンタはその道を、あてもないまま辿り始めた。
右手に掲げた灯りは、足下を照らすのが精一杯で、二歩先だって見えはしない。空気は冷たく、夜特有の静けさの中には、生物の息づかいや正体の分からないものの潜んでいる気配がする、と肌が感じ取る。
サンタの脳裏を後悔がかすめたが、戻る気にはなれなかった。
山の中腹にさしかかった所で、木々の間から小さく光が洩れているのに気付いた。
まさか、という思いが頭に浮かび、サンタは立ち尽くす。
光は消えない。
やや距離があるためか、光源が小さいためか、その両方だろう、光は星のささやきに似ていた。
悩んだ時間はどのくらいだったか、とにかく行くしかないのだと決めて、サンタは道を逸れて、光源に足を向けた。
山の中では限界があるが、それでもなるべく音を立てないように。ついでに野犬よけでもあった松明もどきは地面に押しつけて消した。
近づくとそれが焚き火の火であることはすぐに知れた。更に進むと、焚き火本体が見えた。小さいが人工の火である。
旅の人間か何かか、とサンタはがっかりした。当たり前だ。本当に星に会えるなんて、そんな夢みたいな話、そうそう転がっているわけがない。
そう思ったのに、足は変わらず焚き火の方に向かっていた。どうせだから少し暖をとらせてもらおうと思ったのかもしれない。
─そして見た。
焚き火のほのかな光に照らされていたのは、小柄な影だった。
ふうわりと波打つ、柔らかそうな藁色の髪。肌の色は異様に白い。サンタの位置から見られるのは斜め後ろ姿で、顔は窺えない。着ているものこそ普通の着物だが、それに包まれる人の姿をしたものの、色合いはどうか。
「お星さま……?」
サンタの洩らした声にひくりと肩を揺らして、少年─それは少年の姿をしていた─は振り向いた。驚きにみはられた大きな目は、不思議な、薄い水色だった。
「やっぱり、人間じゃない。お星様、なのか…?」
突然現れ、己の顔を見てそんなことをのたまった青年の前で、少年は一つ瞬きをした。そのまつげや眉まで、髪と同じ色であることに、サンタは気付いた。
くすりと少年が笑った。
「お星様だなんて、言われたのは初めて。でも僕は人間ですよ」
明らかに自分とは違う何かである少年が自分と同じ言語をしゃべることが、サンタにはむしろ意外だった。そのせいで、少年の言葉が脳に届くまでに時間差があった。
「でも、その髪の色は…?それに、目も。それから…」
どこか違う肌の色、違和感のある顔の作り。
なんと表現してよいのか分からず、サンタは口ごもった。
「これは、お母さん譲りです。ここからもっとずっと北の方に行くと、僕と同じ髪や目の色をした人が住んでるんですって。僕もそこには行ったことはないし、どれくらい遠くかは知らないけど。お母さんは船でこの国まで来たって言ってました」
少年は落ち着いた、しかしまだ子供っぽい口調でそう言った。こういう反応には慣れているのかもしれなかった。
「じゃあ、人間なのか?」
「はい。架楠っていいます」
冷静になってみると、少年は確かに髪や目の色こそ違うが、サンタが初めに感じたような、どこか神秘的な様子は今はなく、ごく普通の少年に見えた。
「なんだ、そうか……」
自分が勝手に流れ星に興奮していただけなのだ、とサンタは納得した。が、声には落胆が隠せなかった。自分で思う以上に、期待が大きかったようだ。
「オレはサンタ。すまなかったな、変なことを言って。…ええと、そう言えばきみはどうしてこんな所に?迷ったんなら町まで連れて行ってやるけど」
取り繕うように、サンタは笑って見せた。実際こんな時分に子供がこんな所に一人でいるのは危ないという親切心からの申し出であったが、少年は首を左右に振った。
「人を待っているから、ここで良いです」
「……待ってる?こんな山の中で誰を?」
「家族です」
どこか誇らしげに、架楠はそう言った。
「でも、ここらはたまに野犬も出るし、危ないぞ?」
心配そうなサンタの言葉に、架楠は先程と同じく誇らしげな、そして少しいたずらっぽい、笑みを浮かべた。
「大丈夫。鬼の匂いの染みついているものを襲う獣なんていませんから」
火にくべられた枝のはぜる音が、静かな夜の闇に響いていた。
むか~し書いた話に、なんか似たようなのがあったなあ、と思いつつ。私的にはあれのリメイク?
酒、なんて無茶なテーマ出されて、頭ひねった結果がこれか、という。
書きながら井伏鱒二の「勧酒」の妙訳が頭の中をちらちらしていました。あれは本当に妙訳ですよね。
短いので、どうせだし以下に全文。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二と誕生日が同じで、こっそり嬉しいです。
ひんやりとした夜気につつまれて、月影の下縁側に出ている二人の間には、ゆったりとした空気が流れている。
「しかし長旅になるんだろうな。今回は。」
「まあ、夏までには帰れるさ。恐らくな。」
「実際お前と来たら薄情な奴だよ。そんなに長い間、祝言前の許嫁を一人にしておくなんてな。」
「なに。ナツなら分かってくれている。それよりお前もはやく相手を見つけろよ。ひがんでないでな。」
「誰が、ひがんでいるだと。」
ぱしゃり、と池の魚が跳ねる音が響く、庭はそこかしこに叢があり、適度に茂っている。
「そのうち良い縁があるさ。気を落とすな。」
「勝手なことを言いやがる。よし、お前が旅に出ている間に、ナツがお前に愛想を尽かしてしまうよう、祈っていてやる」
「おいおい。それこそ祝言控えた奴に言う言葉か。」
「なんだ。自信が無いのか。」
「あるに決まっているだろう。ナツはそんな女じゃあない。」
にやりと一方が笑い、もう一方も気を悪くした風もなく、悠然と笑い返した。そこへ、さらりと障子を開けて、徳利とお猪口を持った女が出てきた。
「信頼してもらえているようで、良かったわ。けれどアキト、変なこと言わないで頂戴。」
二人の後ろに膝をつき、一旦、手に持っていたものをそこに下ろす。
酒が目に入った男二人は、ナツの言葉など聞いていない。手渡されたお猪口で、嬉しそうに清酒を受けている。
「気が利くじゃないか。ナツ。」
アキトの言葉に、ナツは口の端を上げて答えた。
「あんた達男と来たら、何かしら口実作っては呑もうとするんだから。嬉しいことが有ればお酒呑んで笑って、悲しいことが有ればお酒呑んで泣いて。お酒がないと駄目なのね。」
「手厳しいなあ。」
「じゃあなんだ。女は酒を呑まないとでも言うのか。」
ハルトキは苦笑いで済ませたが、アキトはナツに突っかかってみせる。
「あら違うわ。お酒に頼らなくても泣けるし、酔えるということよ。」
アキトのお猪口に酒を注ぎ終えて、すいと退かれたナツの手は、月光を受けて、うっすらと白い。
「ふん。」
唸るとアキトはぐいと杯を乾した。その口元に満足げな笑みが浮かぶ。
「なんでもいい。旨い酒に酔えればそれで幸せだろう。」
言って、空いたお猪口をナツの方に差し出した。その手を無視して、ナツはハルトキに膝を寄せる。
「出る前に、今年のお酒を呑んでもらおうと思ったの。ちょっと早いかもしれないけれど、どうかしら。」
「うん。旨い。もう一杯くれるかい。」
「どうぞ。」
とくとくと杯が満たされる。
「おい。こっちにもくれ。」
「ここは呑み屋じゃないわよ。アキトはハルトキさんのついでなんだから、あとは自分で注いでなさいよ。」
「おいハルトキ。本当にこんな無愛嬌な奴が嫁で良いのか。」
あしらわれたアキトは、矛先をハルトキに向けた。ハルトキは二杯目に口を付けてからそれに応じる。
「ナツだから好いんだよ。どれ、お前には僕が注いでやろう。」
ナツの手からす、と徳利を取って、アキトのお猪口を再び満たしてやる。
「おう、すまん。じゃあこれは、お前の旅の安全を祈って。」
「ありがとう。」
ついと盃を持ち上げたアキトに併せて、ハルトキも盃を翳す。
その晩は、ほろほろと酔いがおとずれるまで呑んだ。
あれからずっと、醒めない夢の中であるなら良かった。
春が去り、夏が巡って来た時、アキトは思った。
じりじりと暑い日差しが首筋を焦がす中、アキトはナツの家に向かう。
なるべく木陰を選びながら歩いて、着いた家はしんとして、中に入ると木造の家独特のひやりとした空気。
「ナツ。邪魔させてもらうぞ。」
呼びかけながら、履き物を脱いで上がり込む。
無人の部屋を素通りし、奥の座敷へ。途中の襖は全て閉められていて、奥は暗い。最後の襖に手をかけると、きしししし、と音を立てて開いた。
何をするでもなく、そこにただ座っていたナツが振り向いた。いつも通りきれいに櫛を通され整えられた髪が、その動きに合わせて揺れる。
ナツは何故か、薄く淡い夏の着物ではなく、初春のような装いだった。
「閉めて頂戴。アキト。」
紅の引かれた唇が言葉を刻む。
「少しは外の空気も吸わないと、からだに悪い。」
「厭よ。閉めて頂戴。夏が入って来てしまうわ。」
開け放した襖の前で、アキトは拳を握りしめた。室内はアキトには涼しいと言うより薄ら寒く感じられる。だと言うのに、掌は汗ばんで冷たくなっていた。
「閉じこもっていても何にもなりやしない。」
「いいえ。ここに居るかぎり夏は来ないわ。ハルトキさんは夏までに戻ると言ったのだもの。あの人が帰らないうちは夏にはならない。」
「そんなことは無理だ。」
「何故。」
平坦な口調に、アキトはより強く拳を握る。
「お前は夢を見ている…見続けようとしているんだ。」
「私はあの人の約束を守るの。」
「いいかげんにしろ。」
アキトは声を張り上げ、襖の前から大きく一歩を踏み出した。その怒気を孕んだ声にも眉一つ動かさなかったナツも、手首をつかまれた瞬間、顔をしかめた。
「ハルトキは戻って来ない。季節はもう夏だ。春を留めておくことなんて出来やしない。」
「アキトは出来なかったから言うの。」
「何…。」
顔を俯けて、ナツが洩らした言葉に、アキトは眉間のしわを深くした。
「アキトだって、ミハルのことを忘れられていないくせに。アキトだって、ミハルを留めようとしたくせに。それともなあに。私がナツだからと言うつもり。春が去るのも夏が来るのも拒めないと、言うの。」
ナツは一気に言い募った。ナツの白く冷たい手首を握る、アキトの力が弱まった。
「違う。そんなことじゃあない。」
一度怯んだアキトは、それでも何とか言葉を絞り出して、続けようとする。
「春は去り、もう還って来はしない。…ミハルもハルトキも、俺には大切な奴等だった。だがもう、帰っては来ない。俺は…だから、俺はもう、見送りたくはない。」
アキトが掴んだナツの手が、震えている。
伏せられたままの頭が、予感に対してか、いやいやをするように振られる。
「ナツ。俺は、過ぎた春ではなく、今の、夏が愛しい。」
上げられた瞳には、涙が溢れていた。
「うそ…」
「信じられないのなら、嘘でも良い。嘘で良いから、騙されてくれ。」
掴んでいる手を引くと、そのままからだが付いて来る。腕に囲ったからだは、熱かった。
アキトの胸を濡らすナツの涙は、熱かった。
その晩、アキトは一人縁側に出て酒を呑んだ。
盃が空になれば、手酌で満たし、ほろほろと。
湿った唇が薄く開き、誰に言うでもなく、言葉が零れた。
「醒めない夢はない。…酔いも何れ…だが…。」
今はその酔いが欲しかった。
く、と盃を空ける。
今日は酔いが訪れるまで、呑むつもりであった。
酔って、泣けるようになるまで。ほろほろと。
もうすぐ、夏は終わる。
了
途中で何度も軌道修正した話です。どんどん暗い方向行こうとするので、そっちじゃない、そっちじゃない!と。最初はミハルさんの話とか出る予定なかったのです。設定だけうっすらあっても、書かないつもりでした。でも嫉妬深いナツが許してくれませんでした。
本当は総ふりがなで打ってたんですが、ここでは出ないので、ひらがなを増やしました。まあそれはいつものことですが。
四月の初めに決まって、昨日で五回目のご出勤となりました。地元の飲食店のホールです。急に毎日が忙しくなって、もう体がだるいだるい。まぁ、季節柄ということもあるのでしょうが……。そして残念なのが、休息日になったはずの木曜日がなぜか一番だるいということ……。 だるい上に、何もやる気がしないのって、今までなら一日や二日続いても平気だったのになぁ……。忙しくなると、一日あるだけでしんどい……。誰か、木曜空いてないかな? お出かけじゃなくてもいいから一緒にお話しようぜぇー。一人ってすごく暇&寂しい。 みんな学校だからなぁ……、無理っぽいか。
まぁ私事のことは置いておくとして、遅くなりましたが第七幕です。
はいはい、やっと問題教師のご登場です。作者の贔屓対象です。でもできるだけ贔屓してないつもりなんだよ、これでも。 これから先ちょっとの間は『真幸』と呼ばれるので、混乱しないようにね。
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