第四幕 とりあえず、――。
試験開始から三十分が過ぎようとしていた。
三人は最初いた場所から移動し、目の前に大きな壁が立ちふさがる通路に佇んでいた。そう、行き止まりである。褐色から、レンガのように赤い色に変わった壁を見つめ、三人は顔を見合わせるとハァとため息を吐いた。
「地図通りに来たはずなのに、なんで行き止まりなんだろう?」
「道間違えたんじゃねぇか、デビ?」
「お前があっちへこっちへ、勝手に行くから迷ったんだろ」
地図を片手に首を傾げるデビの隣で、ザラを睨んだディアンは続けて壁を睨みつける。この先に行けないことはわかっているが、前へと早く進めないのが悔しくてたまらない。 こんな試験さっさと終わらせて、早く戦士になりたいのに……。
「でもやっぱりここだよ、出口。確かに行き止まりだけど……。地図ではここで合ってるし、壁の前に像が飾ってある。こんなの今までなかったでしょ?」
地図から目を離したデビはそう言って、壁の前にある四つの像を指差した。確かに壁の前には四つの像が飾ってあった。四つの大きなタイルの上に、それぞれ飾られたそれは、まちまちの大きさをした鳥の像のようだ。しかし、肝心の出口は行き止まりであり、それはつまり前に進めないことを表していた。
「確かに今までとは違うが……。行き止まりじゃ意味がねぇ。それに、その手前に像が飾ってあるから出口とはかぎらねぇだろ? なんらかの手がかりにはなるんだろうが……、にしたってな」
「んー。結構重い。……不細工な顔してるな、この鳥」
像をあちこち触ってみていたディアンは、そのうち一体の顔を見てそう呟いた。ディアンの触っている像を覗き込んだデビは、これ鸚鵡だよと言って広辞苑を開いた。
「けど、なんだか変わった色をしてるね。確かに真っ赤な色の種類はいるけど、それだとインコだし……。それにこれだけ異様に大きいや」
「真っ赤だなー、この鳥。デビ、この青いのは?」
「孔雀じゃないかな。尾羽がそうだもの」
「そういや、超音の奴が言ってたな。鷲、闘鶏、孔雀、鸚鵡の四種類の鳥がこの世界にはいるって。それに関係してんのか?」
「さぁ。でも、よく見ればディアンの触ってる鸚鵡の像の真後ろにある黒いのは鷲で、孔雀の隣にあるのは闘鶏に見えなくもないよ。……、これってもしかして方位を表してるんじゃ……」
「ありえるな。色と置き方は一致してる」
「?」
二人の言っている意味が分からず、ディアンは首を傾げた。だが、二人は無視して話しこんでいて、ディアンには気づいてくれていない。しょうがないので、ディアンは再び像を眺めることにした。赤い色をした鸚鵡は、両翼を広げて鳴き声をあげているような姿をしている。羽の先から嘴の先まで真っ赤だ。ただ頭の先、飾りのような羽だけが薄い黄色をしていて、黒目の部分がやたらと大きく見える。そのななめ右隣にある闘鶏と呼ばれる鳥らしい像は、巣のようなものに座り込んでいる姿だ。もともと真っ白な上に、目を閉じているために一見すると、これがなんなのか分かり難い。ただ、とさかと嘴の下の飾りから、鶏らしいことが唯一分かる。続いてちょうど鸚鵡の像の真後ろにあった黒い鷲の像を見てみる。これは、木の枝に止まってどこかを睨みつけている姿だ。太い嘴と、枝をしっかりつかんだ足がかっこいい。
最後にディアンは鷲の像のななめ左隣にあった青い孔雀の像を見た。図鑑でよく見る、尾羽を目いっぱい広げたあの姿だ。確かに綺麗だが、ディアンの関心はすぐに薄れた。像を見ていてもつまらない。まだあの二人は自分には分からないことで話しているし、前にも壁があるので進めない。
「ふぁ~」
像を背に座り込んだディアンはひとつあくびをした。つまらない。試験で迷路を抜けるなんて、もっと面白いことがあるのかと思っていたが、いきなり立ち往生になるなんて。もともと謎解きは嫌いなのだ。よく読んでた武勇伝や絵本の戦士達は謎解きなんてしていなかったのに……。
「ふぁ~」
誰かがあくびをした。ディアンは二人を振り返る。ザラとデビはディアンを見ていた。
「? なんだよ、今のは俺じゃないぞ?」
「え? でもそっちから聞こえてきたよ?」
「見るからに暇そうにしてる奴が言うなよな、大体」
「ふあ~」
ディアンのすぐ後ろでもう一度あくびの音が聞こえた。顔を見合わせた三人は、ディアンのもたれ掛かっていた鸚鵡の像を見る。まさか、像が動いたのでは……。ディアンは跳ね起きると、急いで二人の近くへと近寄る。じっと像をにらみつける三人だったが、何もないまま三分が過ぎた。
「……なんだよ、何もないじゃん」
ディアンがそう言うと、ザラは呆れたように「怖がってたくせに……」と小声で呟いた。ディアンがキッとそちらを睨み付けていた時、疑わしげに像を見つめていたデビは何かが像の影で動くのを見た。
「ふ、二人共! 像の影に何かいる!」
二人がそれに反応したとき、像の影から何かがヒョイと顔を出した。
「ピィ」
そこにいたのは一匹の小さな赤い鸚鵡だった。大きな鸚鵡の像の影からピョコンと飛び出し、「ピィ」と鳴き声を発したそれは、ピョコピョコと歩き出した。像と色も姿も置いてある像と瓜二つだ。ただ決定的に違ったのは、大きさだった。
「ちっさ……。像がこんな大きいんだから、てっきりでっかいのかと思ってたのに」
「まぁ、これぐらいが普通サイズじゃないかな? この像が大きいだけで」
それに小さい方がいいよと小声でデビはそう言うと、ちなみにと言って広辞苑をめくる。
「さっきのあくびの音は、ディアンのあくびを真似したんだよ。インコとかが、人の言葉を覚えたとか聞いたことない?」
「つまり、一瞬で音を覚えて真似したってことか?」
そうなるね、とデビは笑って答えると、それって結構すごい事なんだよとどうでもよさそうな顔をするザラに力説する。
「音を真似できるようになるには、何度もその音を聞かせなきゃだめなんだ。それを一回で覚えるんだから」
「じゃ、こいつはすんごい鸚鵡ってことか? デビ!」
「うん」
「おお! よし、こいつ連れて行こう! そんで持って帰ろう!」
「意味わからねぇこと言ってんじゃねぇよ!」
歩いていく小さな鸚鵡を捕まえて満足そうな顔をするディアンを、厳しい声とともにこづいたザラは「鳥共とは戦わなくちゃいけないんだぞ?」とすごんだ声で言った。
「戦う対象を連れて行ってどうすんだよ? 第一持って帰るなんてできるわけがねぇだろうが!」
「いってぇな! だからって殴るなよな! 痛ってぇ!」
突っかかってきたザラに、ディアンが怒り声を上げると、それに驚いたのか彼の腕の中にいた鸚鵡が鋭い嘴でディアンの指をつつくと、その腕を思い切り蹴って、腕の中から抜け出した。そしてディアンの方を見ると、「捕まるか」とでも言わんばかりに一声鳴いた。
「このぉー、鳥のくせに! お前なんかいるかっての! もうどっか行っちまえ!」
生意気な鸚鵡を見たディアンは、大げさに蹴りを入れる真似をして鸚鵡を追い払う。鸚鵡はそんなディアンを後目に、空中へと飛び立つと迷路の奥へと飛んでいってしまった。清々したという顔をしたディアンは、一つため息をついて「さっさと前に進もうぜ?」と、二人を振り返った。
「謎解きなんていいからさ~。早く出口探して、外にでないと時間切れになるじゃねぇの?」
「出口は一つだって、超音の奴が言ってたろうが。間違った出口に出たら不合格なんだぞ? こういうのは慎重にやらなきゃならねぇんだよ」
「だからって、出口でも無さそうなこの場所にいつまでも立ち往生してなんになるってんだよ!」
「まぁまぁ、二人共落ち着いて。ここが出口じゃないってことは分かったんだから、とりあえず次にどこに行くかを決め……。ん?」
口喧嘩を始める二人の声が迷路に響く中、デビは迷路の奥から何かの羽音が聞こえた気がした。いや、だんだんとこちらに近づいてきているような……。
「ねぇ、ちょっと……。二人共……」
「大体、立ち往生したのは誰のせいだか分かってんのか? お前が、あんな鸚鵡なんかにちょっかいだしてるから」
「んだよ、そっちだってデビとグダグダしゃべってたくせに! ん?」
大分大きくなってきた羽音に、やっと二人も気づいて迷路、つい先ほど自分たちが歩いてきた道の方を見た。羽音がさらに近づく。その音は、とても鳥一羽が発する音とは思えないほど大きいものだった。
バサバサ、バサバサバサバサバサバサバサバサバサッ!
曲がり角を曲がり、姿を現したのは真っ赤な鸚鵡の群れだった。一見すると、一匹の違う生物のように見えなくもないそれが、三人に向かって鳴き声を上げながら飛行してきたのである。その先頭にいるのは、先ほどの小さな鸚鵡だ。その他の鸚鵡よりも、さらに一回り小さいのでよく分かる。
「あいつ、さっきの奴だ!」
「見ろ、お前がちょっかいだすからこんなことになんだよ!」
「なんだよっ!」
「どうでもいいから、逃げようよ!」
半ば泣きそうになりながら言うデビの声に、三人は来た道とは違う、真っ直ぐに見える道を選んで走り出した。鸚鵡達はなおも追いかけてくる。しかもかなりのスピードだ。これでは追いつかれてしまう。
「……くっ、戦っていいんだよな、あの鳥共と」
「あぁ? 戦うって、どうやって?」
「……どうにかして」
「何もないんじゃねぇかよ!」
さすがにあんな大群の鳥を一発で追い払えるようなものは、今手元にない。三人はがむしゃらに走った。羽音が近づいてくるのと同時に、徐々に三人のスピードが落ち始める。特にピンチなのはデビである。重たい広辞苑をかかえているうえに、見た目どおり運動音痴な彼は、息も切れ切れに二人についてくるのがやっとな状態だった。
「デビ!」
遅れて始めたデビを見、ディアンは走るのを止めるとデビの背後に迫ってきた鸚鵡の群れに頭から突っ込んだ。途端に鸚鵡がディアンの周りを囲みこむ。
「あのバカ」
「ハァハァ、もう、ハァ、駄目」
その場に倒れこんだデビを呆れたような目で見た後、ある物に目が留まったザラは鳥の群れを見て、ニヤリと笑った。
辺りが一瞬で真っ赤になった。バサバサと耳元で羽音がする以外は何も聞こえない。何十羽という赤い鸚鵡に囲まれたディアンは、嘴や爪から顔を守るようにして腕を組んでいた。その隙間から見えるのは、真っ赤な世界と嘴と、爪だけだ。耳元をこするように飛んでいく鸚鵡達の羽音と鳴き声は、耳の鼓膜が破けるんじゃないかと思われるぐらいの大音量だった。
躍起になって片方の腕を振り回してみる。が、そうなると空いたところを狙うようにして鸚鵡達が一斉につついてくるし、振り回している腕を思い切り引っかかれてしまうのである。おかげで、服がボロボロになり、さらに悪いことに頬が切れて、血が流れ出した。
「このぉー! !」
大声を上げようとするのだが、たくさんの鸚鵡達がぶつかり合いながら飛行するために、抜けた羽が空中を舞っていて、口を開ければ入ってきそうになる。実際、何度か口に入ってきた羽をぺペッと吐き出したぐらいだ。抵抗する手段が何も思いつかない。……それでもディアンは腕を振った。時々、うまい具合に腕が鸚鵡に当たる感触があったので、交互に足も繰り出してみる。その様子に、鸚鵡達も少し距離を置くようになった。
息がし易くなってきたと思ったその時、鸚鵡の群れがパッと散ったのが見えた。そして
「ディアン、しゃがめ!」
言われるがままにしゃがんだディアンの深緑色をした何かが、通り過ぎていった。そのまままた固まり始めた鸚鵡の群れに、その何かが突っ込むと、鸚鵡達は先ほどの鳴き声とが違う、悲鳴にも似た声を上げてまたパッと散った。
ブンッと振り回された深緑の広辞苑は、鸚鵡にぶつかってペシャリと床の上に落ちる。デビの抱えていたあの深緑の広辞苑である。よく見ると、広辞苑には独楽回し用ぐらいの太さをした紐が、堅く結びつけられてあった。それを、投げたというわけである。誰が……。
「もう一発! 頭は下げとけよ」
グッ。
ザラが持っていた紐を引くと、ずりずりと広辞苑が動きだし、さらにグッと引いて腕を回すと宙に浮いた。そして先ほどと同じ要領で、まだなおディアンの頭上にいた鸚鵡の群に、広辞苑を投げ入れてやる。また鸚鵡の群れがパッと二つに分かれると、「広辞苑」という、彼らにとっては正体不明の怪物に甲高い声を上げながら、元きた迷路の奥へと逃げ出していった。
「サンキュー、ザラ。助かったぜ!」
「礼ならいい。ただな、一人で突っ込んでいくとか馬鹿としか言い様がねぇぞ。これ以後気をつけろ」
鸚鵡の群れが去り、三人の回りが静かになった頃、広辞苑と紐を回収したザラは、傷だらけなのに笑顔を浮かべるディアンにそう言った。しかし、なおもディアンは嬉しそうな笑顔を浮かべたまま、ザラを見る。何か嬉しい発見をした、そんな風な笑顔であることにザラは気づいたが、何がそんなに嬉しかったというのだろうかと首をかしげた。すると
「お前、意外にいい奴だなー。見直したぜ」
ディアンが笑顔でそうザラに言った。
少しの間、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう、ザラは驚いたようにディアンは見ていたが、ややあって一度フッと笑った。
「……俺も、お前の根性だけは見直した」
「でも、馬鹿は余計だからな」
「馬鹿以外に表す言葉がねぇんだよ」
二人そろってニヤリと笑った後、二人はそのまま下へと目線を向ける。そこには疲れきって床に伸びているデビの姿があった。全力疾走後、あえなく撃沈した彼は、自分の大切にしている広辞苑が、二人のチームメイトと鸚鵡の群れによって、ボロボロになってしまったことをまだ知らないままだ。
さすがに、大切な広辞苑がボロボロになった事を知ったときのデビの怒りは、尋常なものではなかった……。 怒りと言っても、大泣きして喚くだけなのだが、その泣き声は日頃大声で叫びまくるディアンのそれを遥かに上回るほどの泣き声であった。これにより尋常ではないという、ザラの認定を受けたわけである。試験が終わった後に、修復作業を手伝うという約束をして、やっとどうにか収めることができたときには、ディアンもザラも、ホッと胸を撫で下ろした。
再び褐色の壁でできた迷路を進みながら、ディアンは遠くの方へと目をやる。前方の中央には、時計台がドンと立っていて、それ以外には黒い空だけがディアンの目に写る。時計はすでに十時を指していた。
「なぁなぁ。これからどこ行くんだよ?」
どうやら次の行き先を決めて歩いているらしいザラに向かって、ディアンはそう問いかける。先ほどの騒動で、結局二人が話していることが分からなかったディアンには、また意味もなく歩いているだけのように感じたのだ。
「今は北を目指して歩いているとこだ。どんな馬鹿でも、南の逆が北だってことぐらい分かるだろ?」
「ぬ……。だから馬鹿って言うな! それぐらい分かるよ!」
「まぁまぁ、喧嘩しないで。 あのね、ディアン。さっき僕らが話してたこと分かった?」
「全然」
喧嘩の仲裁に入ったデビは、そのままディアンに説明をするため表紙がボロボロになった広辞苑を広げた。まだ何も書かれていないページを開いて、シャーペンを取り出す。なんでお前は書くものまで持ってんだよ? と小声でザラが呟くが、意に介さずデビはそのページに十字を書いた。
「あのね、ディアン。東西南北がどう並んでるかは知ってるでしょ? じゃぁ、東西南北にはそれぞれ色が振り分けられてるってことは知ってる?」
「色?」
「そう。北が黒で、東が青、南が赤で、西が白。さっきの鳥の像も、そう並んでいただろ?」
「んー、言われればそうだったような……」
「で、南を表す赤い壁のところで、赤い鸚鵡が出た」
「?」
「つまり、北に黒い鷲、東に青い孔雀、西に白い闘鶏が出るってことだよ」
「なーるほど」
ポンと手を打ったディアンは、じゃぁなんで北に行くんだ?と尋ねた。
「別にどこから行っても同じだろ? 何が出るかは分かったんだし」
「何が出るかはっきり分かったからこそだろ? 超音の奴が言ってたこと思い出せ。「鳥と一戦交えろ」。鳥と戦うっていうのはよくわからねぇが、攻防しろっていうなら、ここは猛禽類である「鷲」か、「闘鶏」がヒントを持ってる可能性が高い。「鸚鵡」と「孔雀」は論外といってもいいかもな」
「それなら闘鶏でもかまわねぇじゃんか」
「まっすぐ突き抜けたほうが楽だろ? 時間かからねぇし」
「お前、北選んだのそれが理由だろ?」
鳥がどうのとか方位がどうのとか関係ねぇじゃんと、のんきにディアンは呟くとふとザラを見た。
「さっきから思ってたけどな、ザラ。マサ先生のことをなんで呼び捨てにすんだよ? 三珠樹だぞ、三珠樹!」
「ふん。なんと呼ぼうが俺の勝手だろ?」
そっぽを向いたザラを、ディアンは睨みつける。三珠樹とは、この国で一番強い戦士三人を指す称号だ。代々代わるもので、現在の三珠樹は今までの三珠樹の中でもトップクラスだと言われている。戦士を目指すものならば、誰でもこの三珠樹には敬意を表するものだと兄ちゃんだって言ってたのに、どうしてその三珠樹に、ザラは敬意を表さないのだろう。
「俺の目標は、そんなものじゃない」
ザラがボソリと呟いた一言に、なら何なんだよ?と尋ねてみる。そんなことお前が知ったことじゃないと、ザラは再びそっぽを向いて、それ以上は何も話そうとしなかった。