大分前に書き始めて放置していたもの。いい加減にしないと出せなくなると思い、放り込むことにしました。一応季節も今頃だし。
続きを頑張るためにも出します。下書きはできているんだ・・・。
話題にしたことはあるけれど、多分みんな忘れていたみさをさん番外編。
意外に難産でした。
巫女が河原で舞っている。
上は水干着に下は切袴、という出で立ちで腰には太刀を佩き、頭から胸までを覆う透ける薄布をかぶっている。
巫女の袖が揺れ、ゆっくりと扇がかざされる。するすると扇がひらかれる。扇面が巫女の顔をしばし隠す。そしてゆるゆると顔が覗きはじめるうちに、横顔から後ろ姿へと体はまわる。足は一定の空間を踏みだし、踏みしめ、くりかえし地を清める。
いつの間にか一方の手から垂らされた鈴が、ちりん、ちりん、と鳴らされる。鈴の音にあわせてさしまねき、さしかえす、扇のひらめき。
囁く小川のせせらぎのように、留まることを知らないゆったりとした流れそのものが、彼女の舞をかたちづくる。
澱みなく、ゆるやかに、うつろいゆくもの―。
はたりと扇が閉じられた。
息をつく。夢から覚めたような心地がした。
耳に雑多な音が戻ってくる。なんと清らかな舞だったことか。目を奪われて、気づけば一心に歩いてきたこの旅路で、はじめて立ち止まったような気がした。
凪いだ気持ちであたりを見渡す。初夏の風が心地よい。往来の絶えない、浅く広い川にかかる反り橋のたもとで、何の前口上もなくはじめられた舞に足をとめられたのは、わたし一人ではなかった。小銭をにぎった人々の手が、巫女に向けてさしだされる。巫女は首から提げたふくろの口をあけ、ぱらぱらと小銭が投げ入れられた。
観衆から一歩ひいたところでそれを眺める。
よくよく見れば、巫女は頬に丸みを残すまだ若い娘だった。脚絆やわらじは埃にかすれ、この娘もまた旅の途上にあるのだと知れた。こんなにも若い娘がひとり旅の空の下にあるのには、なにか余程の事情があるのだろう。
娘が哀れに思われた。
娘の周りにあった人垣が薄れたので、娘に近づく。
「すてきな舞だったわ」
娘は一度下げた頭をおこし、澄んだ眼を正面からわたしの面(おもて)にあてた。
「おおけに」
こたえる調子は丁寧だけれど、表情はあまり動かない。すっきりとした顔立ちなのに、どこかばんやりとして感情の読みとれない顔だった。耳慣れない言葉とあいまって、とても不思議な雰囲気をかもしている。
「よければ、お昼をごちそうさせて頂戴。―と言っても、このあたりの露店になるけれど」
こうした申し出には慣れているのか、娘はためらわずにうなずいた。幼い子供のようなしぐさだった。
「わたしは奥田みさをというの。あなたは」
「鴉炙言うなやよ」
「アシャ、さん。変わったお名前なのね」
「神さんへ捧げるための名やさけ」
全体にまだあどけなさをのこした少女は、あっさりと告げた。わたしは驚いて、自らを生贄だという鴉炙ちゃんを見る。涼しい顔や曖昧模糊とした表情には、恐れも悲しみも見出せず、どこか浮世離れした風情すらある。
不意に悲しいことを思い出す。
遙かに力の届かないものに願いを届けるためには犠牲がつきもので、犠牲になるのは弱いものと決まっている。
―悲しいきもちになる。捧げるために用意された哀れな少女はまるで無垢なまま、疑うことも知らないのだろう。犠牲にする為子を産む母など、いないのに。
「そう……」
河原をはなれ、水辺の涼から遠ざかるほどに湿った空気は重くなる。それでも、すこし汗ばんだ首筋にそっと触れてくる清らかな風は体の中まで通り抜けるようで、思ったほど嫌な気分にはならなかった。
続く
ひとまず冒頭。別の話に造ったアシャちゃんをすこしキャラ変えて一時的に利用。
どうも私は、短くまとめられないらしい。
それはともかく、下からその1の続きです。
最初、感じたのは恐怖だった。何かは分からない。けれど、とても怖くて冷たいものが、自分を責めたてている気がした。と、すぐに何か温かいものに抱かれる感触があった。どこか懐かしい気もする、温かいぬくもりだ。けれど、それもすぐに消えてまた先ほどと同じ恐怖が目の前に迫っていた。
目に映ったのは、ひどく冷たい目をした細面の男の顔だった。憎しみを持った目で、自分を見下ろしている。振り上げていたその手には、長い鞭が握られていた。
「火影の小僧め」
ひどい憎悪と嫌悪の詰まった声が言った。
場面が変わって、今度はどこかの茂みの中だった。感じるのは、先ほどとは違う種類の恐怖。好奇心と一緒に、軽蔑が含まれた無数の視線。「火影なんて追い出しちまおうぜ」赤毛の誰かがそう言うのに、みんな賛成だった。見つかったらどんな目に合うだろう。怖くて息を殺して震えていると、近くの茂みが揺れた。ひょっこり顔を出したのは、若葉色の髪に薄い藤紫色の目をした少女。焦って声を上げそうになる僕に、彼女――ライクは優しい目でいたずらっぽく笑いながら、口元に立てた人差し指を当てた。
また場面が変わる。目隠しをされたまま、まっすぐ手を引かれるままに歩いていく。足元に、たくさんの植物がある感触がした。
誰かの声と共に、目隠しが外される。そっと開けた目に飛び込んできたのは、たくさんの木々が立ち並ぶ中、一面に咲く黄色い花だった。まだ肌寒いのに、満開の花が足元に広がっている。あまりの景色に唖然としたまま振り返ると、皆が、微笑を浮かべて僕を見ていた。皆一様に、同じ服を着ている。僕も同じ服を着ていた。それが仲間の印だった。それだけが。
一人の女性、紺の髪に優しそうな笑みを浮かべた彼女は、一歩前に進み出ると、何かを僕に差し出した。黄色い花――足元に咲くのと同じ花が描かれた栞だった。横に「福寿草 幸福をあなたに」と書かれていた。そしてもう一枚。大きな色紙に「お誕生日おめでとう」とカラフルな文字が躍っていた。驚いて顔を上げる。彼女――ナツネさんは、僕をギュッと抱きしめて小さな声で「おめでとう」と囁いた。次にその隣に厳格そうな、目の下に赤い縁取りをした男が現れる。ここまで、僕の手を引いてきてくれた人だ。彼――ヤクは、握手を求めるように手を差し出した。戸惑いながらもその手を握る。途端に大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でられた。
「おめでとう」
その言葉はあまりにも新鮮で、嬉しいはずなのに涙が溢れて止まらなくなった。情けなく涙を流す僕に、皆が駆け寄ってくれる。あぁ、すごく温かい。僕は十分に幸福だった。
また場面が変わる。今度は森の中だ。真っ赤な炎に包まれて、黒い影が踊っている。野獣のように吠えながら、浅黒い肌の男が暴れまわっていた。火を噴き、遺体を蹴散らしながら、僕に迫ってくる。それを止めようと、ヤクが血まみれになってその男の前に立ちふさがる。必至で抗戦し、僕に何かを伝えようとするが、その前に野獣の男に倒されてしまった。真っ赤に充血した黄色い目。その目がまっすぐ僕を見下ろすと、いい気味だと言わんばかりににやりと笑った。
「お前のせいで皆死んだな♪」
悲しい。大事な仲間が死んでいる。ナツネさんや仲間だと信じていた皆が、剣に貫かれ、炎に焼かれ、辺りに転がっている。怖い。眼の前にいるこの男が。このまま、生き残ってしまうことが。これから先に起こることほど、簡単で逃げ場のない未来もない。悲しい。どうしてライクが死んだのか。どうしてライクがここに来たのか。決まってる、そんなの。僕を助けに来たに決まってるじゃないか。いや、そもそも……僕を守る? 何から? 怖い。 最後の最後、なんで皆、僕に向かって『出ていけ』なんて言ったの? 問いかけても、もう誰も答えられない。
炎の赤と、踊り狂う影の黒、目まぐるしく変わっていく景色の中で、頭の中はぐちゃぐちゃになっていった。光る刀身、火を噴く銃口。背中を走る激痛と、切り捨てられる誰かの体。助けたくて手を伸ばしても、逆にぐんぐんと遠ざかっていく。痛みに耐えながら走る荒い息遣いの向こうで、冷たい嘲笑が響いていた。
無数の憎悪を抱いた瞳が、一人残された僕に注がれている。投げかけられるのは、重なり意味の掴めなくなる言葉と、その中で一際目立つ野次。何が起こったのか、一切理解できない中で、唯一分かったのは仲間が消えたこと。友達がいなくなったこと。世界のすべてが自分を敵と認識したこと。冷たい雨の中、動かない体を引きずられながら、遥か頭上から冷たい恐怖が呟く声を僕はきいていた。
「火影の君に生きる価値はない。誰もが君を嫌い、憎み、遠ざけている今の状況で、純粋に生きるなど無理な話だ」
寒い、寒い、寒い。あぁ、まだ寒い、寒い。どうしてこんなに寒いの。僕は独りで生きなきゃいけないのに。こんなに寒いんじゃ、生きていけないよ。皆はどこ? 皆を探そう。そうすれば、温かい。……ダメ。皆が見つかるわけない。皆、死んでしまったから。
あの時、何があったのか、分からないって言ったって、誰も信じてくれなかった。みんな言うんだ。僕が火影だからって。火影の言うことは信じないって。みんなが言うんだ。お前がいたから皆死んだんだって。きっと、皆もお前を恨んでるって。あぁ、そうだ。皆が僕に「出ていけ」って言ってたな。あれはきっと、もう僕のことなんか面倒みきれないから、いなくなれってことだったんだ。そうだ、誰も、僕を信じちゃいない。僕だって、僕のこと、信じない。だって、僕は火影だから……。
「……火影って何?」
目から涙が零れてきた。「火影」という言葉がどこまでも僕を苦しめている。でも、僕はそれがなんなのか、分からない。分からない状態の僕は、自分を信じることさえできない。そんな僕を、それでも愛してくれる人はいた。何も言わないで、優しくしてくれた。でも、その半分以上が僕の所為で死んでしまった。分かってる。皆がいてくれたことは幸福なことだったって。分かってる。まだ、僕を愛してくれる人はいる。けど、僕は僕自身さえ信じられないから。そんな僕が誰かに信じてもらえるはずはないんだ。誰にも……。
「……死んだっていい……、もう一度会いたい……。会いたいよ、ヤク。僕を……独りにしないで!」
涙が止まらない。大声で泣きたい気持ちはあるのに、何かが邪魔して泣くことができない。大声で泣いたらいけないんだと思っていた。泣くまいとすると、さらに涙が溢れてくる。ダメだ、止まらない。止まらない、止まらない。
「呑み込まれるなと言ったはずじゃ」
遠くで声がした。
目を開けると、目の前にはあのオレンジのような靄があった。両手は、びっしょりと、先ほどから止まらない涙で濡れている。その涙も、今は止まろうとしていた。
「全く。あれほど呑まれるな、と言ったのに。真正面から行きおって」
どうしようもないなと言いたげにため息をつくジャコールの声が聞こえた。しかし、姿は見えない。黄色の靄だけが、ふわふわと動いていた。
「残念じゃが、ディアン。今日はここまでじゃ。あまり長居すると、お前さんのアニマがなくなってしまう。今日、見たことは他言無用じゃ。分かったな?」
「うん……。ジャコール……、さっきのは先生の……、記憶?」
「アニマは体を循環し、それまで感じた感情のすべてを記憶しておる。脳の記憶よりもさらに鮮明に、且つ永久的にな。故に、アニマからは簡単に個人の情報が分かる。先ほどお前が見たのは、記憶なんぞよりさらに鮮明な、あやつの感情そのものなのじゃ」
「……」
「言ったはずじゃ。感情のない人間なんぞ、この世におらん。押さえ込むことはできても、完全に消し去ることはできんのじゃよ。
……それで、どうじゃ? これでもまだ助けたいと思うのか?」
「……、先生はやっぱり寂しいんだな。なら、俺でも助けられるかもしれない」
にっこり笑いながらディアンが言うと、ジャコールは焦ったようだった。近づくなと強く言っていたのだから、それも当然だった。しかし、ディアンに心変わりする様子はない。むしろ、より一層決意を強めた様子に、さすがのジャコールもやれやれとため息をついた。
「全く……、親子そろって考えは甘いは、そのくせ世話焼きじゃ、ほんにむちゃくちゃじゃ」
「えっ?」
「ふん。まぁ、よかろう。そこまで言うなら、儂も力を貸してやる」
「ほんと、ジャコール?」
「ほんの少しじゃ。今のお前さんにできることは限られておる。そこをちょいとだけいじってやろう。どう考えても、今のお前さんの考えでは奴は助けられんからの。 ……ただ、二つだけ約束がある」
「約束?」
「一つは、手遅れじゃと儂が判断したら、文句は言わず引くことじゃ。先ほども言ったが、火影は黒龍にとっては兵器と同じなのじゃ。本来、近づかんに限るのだからな。二つ目は、翡翠じゃ。儂は今までは、確かにお前さんの心におった。しかし、そう全て覗いてはお前さんにも悪いと思うのでな。首から下げとる翡翠の宝石に住むことにしたのじゃ。じゃからして、絶対外すでないぞ? 分かったな?」
「……お、おう。そんな早口に一変に言わなくたって」
「時間切れなんじゃ! 分かったら、また次回じゃ。近いうちに会おうぞ」
ジャコールがそう言うと同時に、少しずつ景色が変わり始めた。ディアンは、先ほどまで濡れていた両手へ目をやった。それから咽び泣いていた誰かのことを思って、ゆっくり目を閉じた。真っ白な世界がゆっくりと、色を付け始める。それからスッと、体が軽くなった気がした。
「……」
誰もいなくなった空間で、黄色のモヤはまだゆらゆらと揺れていた。彼の主は、帰るべき所に帰れたが、触れてしまったものの影響は、必ずどこかで出てくるだろう。
「……すでに八割方手遅れの中古品のアニマ、か。果たして、黄央の守りがどこまで持つか……」
徐々に黒く変色していく白い世界を背に、彼は主が消えた辺りを睨み付けていた。
ここを出すか出さないかでかなり迷ってた。でも、出してもどうにか最後にはまとめられそうなので、出すことにしたよ。最悪な場合、最後の最後で消すかもね。
お久しぶりです。 あれから二か月も空いてしまった。……まぁ、もう一か月もすれば自由になれるので、ちょっとぐらいは仕方ないかな。
題名がなんか、変なくさいセリフみたいになってしまった……。たぶん、気づかれているとは思うけど、今書いている所のイメージにそった曲の歌詞から抜粋して書いてます。書いていて思ったけど、これ、一回書いた時よりか・な・り量が増えそう。まぁ、以前が描写少なすぎたということで勘弁。
続きから第三.五幕
第三・五幕 リンク
あぁ、寒い。寒い、寒い。寒い寒い寒いさむいさむい、寂しい寂しいさびしいさびしい。何もない空間で、ディアンはそう思っていた。それだけしか感じなくなっていた。ともかく寒いのだ。ともかく寂しいのだ。自分には、なにもないのだ。何も……。うっすらと開けた目の先には、真っ白な景色が広がっている。壁もなければ、窓も、ドアもない。空さえなく、そこには白以外の色は何もなかった。ディアン自身、全身白くなって、すっかり景色にとけ込んでいた。あぁ、こうして自分もこの景色の中に溶けていくんだな、と柄にもないのにそう思った。このまま、目を閉じていようか。どうせ、閉じていたって開けていたって一緒だろうが、白いだけの世界を眺めていてもつまらない。自分の世界を想像できる、視界のない世界の方がよっぽど色がありそうだ。目を閉じようとしたその時、向こうから黄色だか、オレンジだか、よくわからない色の物体が、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。白い中で、余計に目立っている。そしてそれは、ディアンがいるはずの場所の前で、ぴたりと止まった。
「……飲み込まれるな。ここは、お前の世界ではない」
そう言って、その何かは犬のような鼻面をディアンに押しつけた。
だんだんと体が温かくなってきた。肌にも色が戻ってくる。寂しい気持ちはすっかり消えて、ここはどこだろうと言う疑問が沸いてきた。ゆっくりと体を起こし、「……ここは?」と、誰もいない世界に問いかけた。
「誰かの見ている世界じゃよ。お前とは、別の」
先ほどの何かが、ディアンの問いに答える。少ししわがれてはいるが、落ち着きのある安心する声だ。だが近くにいるはずなのに、全体にもやがかかっていて、それがなんなのかは検討がつかなかった。それでもディアンは、そんなもやのいうことになんとなく納得してしまって、「俺、どうしちゃったのかな?」と、またその何かに尋ねた。
「この世界を見ている誰かの、強力なアニマにあてられたのじゃろう。まだまだ、お前さんの力は未熟なようじゃ。儂の姿も、分からんじゃろ?」
ディアンが頷くと、そうじゃろうなぁとそれは笑った。
「まぁ、いずれ会える日がこよう。その時までの楽しみじゃな」
「それで、ここからどうすれば出られるんだ?」
「ふむ。そう時間はかからんじゃろ。もうお前は自身のアニマを取り戻した。あとは自然と体の意識が戻るのを待つのじゃ」
「……アニマって何?」
「! なんと! そんなことも知らんのか?!」
ひどく驚いたような声でその靄は言うと、落胆したようにため息をついた。これだからゆとり教育めとか、なんとかぶつぶつ言っているが、やがてぶっきらぼうに言った。
「仕方ない。少し、長話をするとしようかの。もやのように見えるのも癪じゃ。余り好みではないが、使わせて貰うとしよう」
もやのような何かが、そう言ってからぶつぶつと呟くと、先ほどまでもやのあったところに、人間の足がにゅっと現れた。やがて、膝、腰、胸と徐々に現れていき、最後にはディアンも知る人物がその場に現れた。
「せ、先生じゃんか?!」
「一時的に、姿を借りとるだけじゃ。本来ならこんな汚れた奴に化けるなんぞ、好んでやらんわい。お前さん以外のアニマを、今はこれしかもっとらんだけで、本物の儂はもっと高尚な姿じゃ」
苦々しい顔をして、元もやの、今は失盗レスの姿をしたものは毒づく。よっぽど嫌らしく、ほぼ真っ黒な衣服に包まれた体を眺め回しては、「傷物の中古め」とかぶつぶつ言った。
「……実際先生に会ってもいないくせに、そう文句を言うのはどうなんだよ?」
あんまりにもぶつぶつと悪態をつくので、うんざりしたディアンがそう尋ねると、「会ったことはあるわい」と、それは返した。
「お前さんを通して、いろんな奴と会っておる。お前さんが感じたことと一緒にな」
「えっ?!」ディアンはびっくりして、今やふてくされたような顔のレス(偽物だが)に目をやった。
「一緒にって?」
「お前さんが目の前の人物をどう感じたのかも、同窓のあの黒髪の小童をどう思ったのかも、手に取るように分かる」
「なんだよ、それ! プライベートの侵害だ!」
「……意味は通じなくもないが、それを言うなら『ぷらいばしー』じゃ」
わしらは一心同体なのじゃと、しわがれた声でレスは言った。ディアンは偽物のレスをじっと見上げた。偽物は声だけは偽物の、基先ほどのもやと同じものだという以外はそっくりだった。ただ、本物よりも目の色が濃くて、健康そうだ。本物が、本来元気であったなら、そうなっていただろうと言う姿なのだろう。動作も、本物ができないような、高貴なしゃなりとした動きで、自信に満ちあふれているようだった。
「儂は、お前さんを守る守護霊であり、分身のようなものなのじゃよ。お前さん以外の人間には見えもせんし、声も聞こえん。そして、先ほど言ったように、お前さんの心の声をすべて聞くことができる」
「じゃぁ、お前は俺の心の中に住んでるの?」
「厳密には、お前さんの心に相違ないが……。
今はその話はよそう。まず、アニマについてじゃ。戦士になりたいくせに、アニマのことさえ知らんとは。やる気はあるのか?」
大きくため息をついて見下ろされると、ディアンは言い訳することさえできずに肩をすくめた。それからやっと、「今はそういうこと、おしえなくなったんだよ」と言った。
「兄ちゃんが言ってたけど、そういうのはほんとになりたい子だけが知っていればいいからって、科目から外されたって」
「全く。人間というのは、なぜそうすぐ警戒を怠るのかのう。アニマを扱えなければ虫も同然に弱いくせに。まぁ、良い。ディアンよ、アニマとはエネルギーのことじゃ。生きとし生けるもの、獣から鳥から虫、さらには草まで、すべての生き物が生きている間に持つものじゃ。もちろん、お主にも流れておる」
自分にも?と不思議そうな顔をしたディアンに、レスの姿をしたそれは力強く言った。
「アニマはもちろん、目には見えん。だが、確かに存在する。お前さんは、自分が怒った時や悲しい時、または誰かが怒った時や悲しい時にその雰囲気を感じたことがあるはずじゃ。アニマは感情に触れることで、少なからず外に出て行くからの」
「ちょっ、ちょっと待って。まず、名前を教えてよ。なんて呼べばいいか分からないと、口も挟めないよ」
「……やはり、まだまだ力が弱いようじゃのう。力があれば、儂の名前なぞ、貴様には一発で分かるだろうに。……儂はジャコールと言う。元はジャッカルの神霊じゃ。属性は風」
「神霊?」
「ふむ。神霊は、アニマが正の感情、つまり嬉しい気持ちや幸福に触れて集まってできる。多くは害からものを守る、守り神として扱われておる。守るものも、人から物から土地まで様々じゃ。これと逆に負の感情、つまりは悲しみや憎しみに触れてできるのが妖魔じゃ。ものに害なし、災いを呼ぶ。その種類は、妖魔自身が持つアニマの属性によるがのう」
まぁ、この辺りの詳しいことはさすがに人間共も教えようと、ジャコールは上からの目線で言うと続けた。
「さきほど言ったように、アニマは感情に強く反応する。それによって、体の外に放出されるんじゃ。だが、普段は体の中に留まり、血液と同じように体を循環して、精神の平常を守っておる。なくなれば死ぬ。いや、無くなる時が死の時、と言った方が良いかの」
「ふうん。でもさ、俺は先生のアニマに当てられたってジャコールは言ってたけど、先生には感情がないんだよ? 自分でもそう言ってたし」
「馬鹿なことを言うでない。感情のない人間など、この世におらぬ。強大な力に抑えつけられ、押し殺されておるだけじゃ。それに、こやつの場合は少し特殊なせいもある」
ジャコールは憎々しげな顔で自身の体を指さした。触ることさえ嫌だというかのように、さっとその手を下ろすと「火影というのは知っておるな?」と尋ねた。
「う、うん」
「火影は妖魔の礎となるものじゃ。アニマは人体以外に、空気中にも幾分か存在するものもある。この空気中を漂う、持ち主のいないアニマが、ある人物の感情で放出されたアニマと出会うとする。そうして集まってできるのが、本来の神霊や妖魔の成り立ちなのじゃ。だがこれを、影、今は黒龍と呼ばれとるはずじゃが、奴はさらに効率良く、且つ大量に量産しようと考えた」
その結果が火影じゃ。
またしても、自身の体を指さしながら、そして忌々しげに顔をしかめながらジャコールは言うとふとディアンの顔を見て、難しそうな顔をした。
「……話についてこれておるか?」
「……わっかんねぇ!」
無邪気な笑顔でそう言われると、ジャコールはそこから先を説明するのをあきらめたようだった。ともかく、アニマとはエネルギーで感情であると思っておけと、ジャコールはディアンに言い放った。
「全く、お前さんはレオより手がかかりそうじゃのう」
「誰って?」
「もういいわい。さて、アニマのことも分かったじゃろうし、そろそろお前さんの体も起きる頃じゃろう。最後に言うておくが、こやつには以後絶対に近付くで」
「なぁ、ジャコール。俺がさっきまでいた世界が本当に先生のだったなら、今先生は寂しいってこと?」
話を遮られたうえに、自分が意図していることと逆にレスに興味を持ち始めたディアンを、ジャコールは呆れた顔で見る。そして考えはお見通しだとばかり、知る必要がないと冷たく彼はディアンに言い放った。
「えぇー! なんでだよ!」
「ふん。それはこちらのセリフじゃ。こやつを助けて、お前さんになんの得がある。災いしか起こせぬこいつの傍におることは、単なる自殺行為じゃ。じゃのに、こやつを助けたいじゃと? アニマのことさえ知らんかった小童が、偉そうなことを言うでないわ」
ハハンと見下すようにそう言われると、なんとも言い返せなくなって、ディアンは顔を真っ赤にした。自分の考えもお見通しだったし、思いを共有しているというのも本当のことのだろう。なら、自分がなぜレスを助けたいのかということくらい、分かりそうなものだった。
「……お前さんも、心底世話焼きよのう。そんな小さなこと、こやつは覚えておらんぞ」
「!」
またもやお見通しか。ディアンは苦い顔でジャコールを見る。そう、確かに小さなことだ。それでも、一度思ってしまうとその思いを止められそうになかった。それをジャコールに分かってもらおうと口を開きかけた時だった。
「どうしてもと言うなら、奴を知る事くらいはできる。じゃが、非常に辛い体験になるとしか言えん。それでも知りたいか?」
言わんでも分かるという三回目の反応だった。あまりに早く自分の思いが読まれてしまうので、答えにつまりそうになるが、ここで申し出に答えなければ丸め込まれてしまう気がした。
「うん。俺、ちゃんと先生のことを知りたい。今のままじゃ、分からないことだらけだもの」
「……本当に覚悟はあるのだろうな?」
ジャコール(今はレスの姿だが)は、訝しげにディアンを見た。
「はぁ。まぁよい。儂はそんなこと望まぬがの。見た後、考えが変わるということもあり得る」
「じゃぁ、教えてくれるんだな!」
「……よかろう」
こちらへ来いと、手招きしたジャコールにディアンが近づく。すると、足元に青緑の光を放ちながら円が現れた。ところどころに複雑な文字が描かれたそれは、ゆっくりと回転し、さらに複雑に大きく広がっていく。
「これより、お前の中から追い出したこやつのアニマを、再度お前の中へと入れる。分かってはいるだろうが、呑み込まれてはいかんぞ。これよりお前が見るものは、お前自身に起きたことではなく、こやつに起きたことだ。量はさほどないので、断片的でお前が欲しい情報が手に入るかは分からんが、どんな感情を感じても、それはお前のものではない。心しておけ」
ジャコールがそう言い終わるか言い終わらない内に、辺りは青緑一色の世界へと変わっていき、眩しい光にディアンは目を閉じた。
やべー、使い方わからなくて焦った……。 機械音痴、web音痴にもほどがある。どうにかします。
兄たちと別れたザラは、校舎に向かっていた。正確には、校舎裏にある三珠樹が使用している平屋を目指していた。そこに、彼がいるはずだと確信していた。彼と、あわよくば三珠樹とも会って話をつけなければならないことがあった。それは、誰にも……実の兄にも、聞かれないようにしなければならない話だ。兄が、自分のしようとしていることを知ったら、さしもの彼も真剣な目つきでこういうだろう。
『復讐なんてよくないよ、ザラちゃん』
……『ちゃん』はない、と思いたいが、あの兄だと、真剣な時さえそう言いそうで、そして、そう呼ばれることに徐々に慣れつつある自分に呆れて、彼はため息をついた。考えは少しずれてしまったが、ともかく、自分の目的のために、今やらなくてはならないことは、彼と話をつけること。ザラは暗くなってきた道を急いだ。
もうすぐで平屋が見えてくるというところで、その彼が一人で校舎の裏で佇んでいるのを見つけた。ぼんやりと、空に浮かんだ月を眺めている。実際眺めているというよりも、立っているだけというほうがいいかもしれないが。特に意味もなく、ただそこにいるだけということが、彼をみればすぐに分かるのだ。
これは絶好のチャンスだ。ザラは、近づいていって話そうと足を早めた。しかし、自分とは逆の方向から誰かが彼を呼ぶ声がして、咄嗟に近くの茂みに逃げ込んだ。聞いたことのある教師の声だ。こんな時間に一人でいるのが見つかったら、おそらくは帰れと言われるのが関の山だろう。
彼の思った通り、向こうから三人の教師が現れた。派手な髪で、一目で誰か分かる巨体の針闘と、彼とは明らかに気の合わなさそうな小柄で厳しい顔をした輪超、そして以前普通科で顔を合わせたことがある神空。ザラは隠れて正解だったな、と胸をなで下ろした。神空プスが、過保護なほどお節介なことはよく知っていたからだった。
向こうは幸い、自分の存在に気がついていないらしい。ザラは、とりあえず少し近づいてみることにした。今の位置では、彼らが何を話しているのかさっぱりだった。
*******
「……」
レスは、自分の前に立ち並ぶ三人の先輩に目をやった。険しい目つきで、自分を見返す三人に、大体の話の検討がついて、目を反らす。幾度となく、同じ質問を、幾人もが、自分に尋ねたけども、自分にできる答えは一つだけ。それ以外に、言う言葉はなかった。
「レス、少しいいかな? 僕の話を聞いてほしいんだけど」
一歩前に出て、プスがそうレスに話しかける。レスが、黙ってプスを見返すと、それを了解ととって、彼は話し始めた。
「まず、君、ここに来るまでどこにいたの? 聞いたところじゃ、マサ先生も、君が今までどこにいたのか知らないという話じゃないか。そこを、はっきりさせてほしいんだけど。二年も行方不明だった人を教師に、なんて、親御さん達がだまっちゃいないよ」
軽く、話を振るようにプスはそう尋ねた。顔には、嫌な作り笑いが浮かんでいる。プス自身も、それには気付いていたが、どうすることもできない。笑えと、言われたって無理だ。レスはといえば、全く表情をかえず、じっとプスを見返している。濁った瞳は、すべてを見透かしているようだった。
「……聞きたいことは分かります。ですが、何度、誰に聞かれようとも答えは、「分からない」これだけです」
「……それならそれで構わないよ。分からないなら、仕方ない。代わりに、僕の話を聞いてくれないかな? 最後まで」
「遠慮します」
やはり作り笑いのまま、プスがそう言ったのをピシッと払いのけ、レスはその場から去ろうと歩き出した。
「待て!」
「くどいですよ」
伸ばされたプスの手を、捕まれる直前でレスは払いのけた。そのままプスを睨みつけて静止する。珍しく物言いたげに、怒りを滲ませて、睨んでいた。
「……今更、真実を知りたいとでも言うのですか?」
自分を追ってきたプスにレスは尋ねる。その背後にいる二人の先輩に向けられているものではなかった。
「知らなきゃいけないと、今は思ってる。君が、ここにいる以上」
「なら、知る必要はありません。俺は、すぐここを出て行きます。それでいいでしょう?」
「よくないよ。受け持った生徒達をおいて、一体どこに行く気なのさ?」
「担当なら、もう外して貰いました。生徒達が、俺がいなくて困るという状況ではないはずです」
「いいや。代わりに来る先生なんて、僕は聞いてない。まだ、君はここにいる必用があるよ」
力強く言うプスに、レスは呆れたようにため息をついた。諦めたのか、とプスが思った時、レスは一言言った。
「本当に信じるでしょうか?」
「えっ?」
「あなた方は、俺の言うことを信じるかと聞いたんです」
「信じるかどうかは、話にもよるし、証拠もあるなら提示してもらいたいね。君は一応あの日、自分の罪を自白することで認めてしまってるんだから」
「……なら、やっぱり無理ですね」
レスは再びプスを睨みつけ、続けた。
「俺には自分の言ったことを証明できる証拠がない。……それを証明してくれる人も、もういない。話した所で、一蹴されるだけでしょうね。火影の法螺話だと」
「そんなの分からないよ。そうでしか辻褄が合わないなら……、僕達だって信じるしか」
「……信じるしか、ですか。……そう思うくらいなら、信じなくていいじゃないですか」
「えっ?」
レスの言葉に、プスは驚いて声をあげる。パズとハリトーには、今のこの会話は聞こえているだろうか?
そう疑いたくなるほど、信じられない言葉だった。
ありがたいことに、他の二人も話を聞いていたらしく、パズがプスの思いと同じことをレスに投げかけた。
「……貴様、もしかして自身の無罪を主張する気がないのか?」
「当たり前でしょう? 今更主張したところで、何になるんです?」
「いやいや、普通そこは主張しなきゃだろ?! じゃなきゃ、一生悪者のままなんだぜぃ?!」
「それがあなた方の望んだことじゃないんですか?」
相変わらず光りのない、濁った瞳でレスは三人に冷たく言い放つ。苦い顔をするパズと、どう反論すればよいのかと困惑しているハリトーをおいて、プスはまた一歩、レスに近づいた。
「それは違う。僕達遺族も、他の人達も、本当は何があったのか、その真実を知りたいだけだよ。君を悪者にしたいなんて、そんなつもりはない!」
なのに、話してもらえないことはこの上ない苦しみだ。プスは、その最後の言葉を言わずに留めた。それが分かっている相手なら、こんな風にすべてを隠そうとなど、しないはずだと思ったからだ。ここで逆上されて、これ以上話すのを止められても嫌だった。だから、これぐらいなら、彼が逆上する事もないだろうと思っていた。何より、少なくとも彼は、癇に障ったとしても冷静に考えることのできる人間であることは、先ほど証明されていたからだった。次のその瞬間までは。
周囲の空気が突然凍り付いたように冷たくなった。
三人が見ると、レスがすごい形相で三人を睨みつけていた。濁った目から一転、黄緑がかった瞳は瞳孔が細くなり、まるで獣が獲物を定めた時のように鋭く光っている。蒼白だった顔には初めて生気が宿り、そして彼の周囲はペキペキと音を立てて少しずつ凍り付いていった。可憐な花を咲かせていた地面も、雨樋から落ちる滴も、青々とした木の葉を茂らせる大木も、皆一様に冷たい氷の中に閉じこめられた。
「そんなつもりはない……?」
レスの声には今までにはなかった気迫があった。そして、その細い体のどこから出るのかと言う大声で、三人に向かい狂ったように叫んだ。
「ならお伺いしますが、僕を裏切り者と呼び始めたのは誰ですか? 僕の命に価値なんてないと、決めつけたのはどこの誰でした? 主張だって? その主張さえ、火影だからといって、取り合ってもくれなかったのは、この国の人々じゃなければ、一体誰だと言うんだっ?! 僕の妄想か?! 自意識過剰な薄汚い火影の小僧の考えた法螺話か?! あなた方はいつだって、僕をそうやって見下して、貶して、利用してきたんだっ! 今更、聞いてやるから全部話せだって? 虫が良すぎるんだよっ!!!」
「僕は……」
そんなつもりじゃと続けようとして、プスは黙った。今のレスの怒りは、自分だけに向けられているものではないと気付いたからだ。
あと、ほんのこれだけだったのに。一緒にできなくて残念。レッスー、何気にキレるの初?
私の中では、あんまり言葉に出してキレないキャラっていうイメージだけに、書いてて自分もびっくりした(おい) 私でびっくりなんだから、声さえほとんど聞いたことなかった(っていう設定の)パズやハリトーさんは、そらもうびっくりしただろうね(笑
もう少ししたら、間隔あんまり開けずにアップすることができるようになるかも、ね。
そして、もう少し暗いパートが続くよー。飽きるかもしれないけど、もう少々お付き合い願います。
第三幕 つながり
帰り道は、静かだった。ぽつぽつとある街頭の明かりと、うっすらと見える家々の明かり。暖かみのあるその色は、何故か冷え切っていたディアンの体をほんの少し温めてくれた。それでも、廊下で感じた寒気は、いつまでもディアンの体に残っていた。
「さっきから静かだが……、大丈夫かディアン?」
「兄ちゃん……。大丈夫だよ。ちょっと、寒気がするだけ」
心配そうに顔を覗き込んできたリーズにそう答えて、ディアンは笑みを見せた。実際、寒気がする以外は元気だったからだ。その回答に、そうかととりあえず納得したリーズは、「家に着いたらなんか温まるもん作るからな」と返してきた。その隣で、「それがよさそうだね」とサトもデビの方を見て言った。
「まったく、五月だっていうのに、嫌な雨だね。ジメジメするよりはいいとは言え……」
「そうだね、お兄ちゃん。でも、僕はだいぶ平気だよ。ほら、やっぱり僕、ディアンより着込んでるから」
「ダメダメ。油断は禁物だよ、デビ。季節の変わり目ってのは、一番危険なんだからさ」
「サトの言うとおりだな~。ザラちゃんは大丈夫かね~」
お気楽に呟くレムの隣に、ザラはいない。六人で一緒に家路についたはずだったが、彼は少し学校から離れてすぐ、「忘れ物した」と言って、引き返していったのだ。それを、「おう。気をつけてな~」と軽く見送ったレムだった。
「レムさん。ザラの奴は平気なのか?」
「ん~。まぁ、大丈夫だろ。お守りも持たせたしさ。それに、あんまり心配すると、ザラちゃんは怒るんだよ。子ども扱いするなって」
ハハハッとレムはまた軽く笑う。それをおいおい、と言いたげな目でリーズとサトは見る。彼らからすれば、心配せずにいられるなんて信じられないのだから当然だ。だが、ディアンにすれば、心配してほしくないっというザラの気持ちも、ほんの少し分かるところがあった。
「ハハッ。まぁ、心配するならむしろ、今日の夕飯の心配してくれよ。なんと、俺らの家は、帰っても何もないんだ、これが。ザラちゃん、怒るだろうなぁ」
「そんなん知るかよ。俺らンちだって、今から作らなきゃ何もねぇよ。なぁ、サト?」
「まぁ。作り置きはしてないしね」
「だからな。作るならついでにさ」
「お前たかる気かっ?!」
「たかるなんて言うなよ? ごちそうしてくれよ、な?」
「まぁ、いいんじゃないかい、リーズ? まずいもの作られて、苦い顔しなきゃならないザラのことを考えればさ。全部まとめて、作ってやりなよ」
「……、そういうお前は俺に全部作らせる気か?」
兄達の会話は、ディアンとデビの知らない所で進んでいく。二人は、一度顔を見合わせた。結局、二人にはマサキの、先ほどの行動の意味も、何もかも分からないことだらけだった。もとより、よく考えれば自分達は二年前の草原の戦のことも、詳しく分かっていない。被害にあった人数や、起こった日付くらいは調べれば分かるが、肝心のマサキとの関わりは全く分からないのだ。
「…・…。デビ、いいよな?」
「うん。どんな話になっても、僕、ちゃんと聞くよ」
少し嫌な想像をしてしまったのか、デビが青い顔をしてそう言う。しかし、覚悟を決めたのか、彼はディアンに向かって深く頷いた。
「だぁかぁらぁ! なんで、俺がお前ら全員分の飯作らなきゃなんねぇんだよ! 俺だって疲れてんのにぃ!」
「そんな意地悪なこというなよ、ひまわりぃ。俺がこんなに誠実に頼んでるんだぜ?」
「悪口言ってる時点で誠実じゃねぇだろっ!」
「まぁまぁリーズ。二人分作るのも、六人分作るのも一緒さ」
「作れるやつに言われるのが、一番、腹立つわっ!」
「なぁ、兄ちゃん」
「ディアン、今兄ちゃん忙しいんだよ! この腹黒どもを撃退せんと」
「別にいいじゃん、うちで一緒に晩飯食べるくらい」
「えぇっ?!」
せっかくお前を心配して言ってるのに、とうなだれるリーズを後目に、ディアンはレムとサトに近付くと、「これでいいんだよね?」と尋ねた。
「ディアンは優しいなぁ。助かるぜ。ザラちゃんにも、実はもうそうするって言っちゃってたから、ほんと助かる」
「レム、それはちょっと図々しいよ。それで、ディアン。何か言いたげだけど?」
何かな?と人好きのする笑みを浮かべてサトがディアンを見る。その眼にはいたずらっぽいものが含まれていた。
「うん。晩飯食べた後でいいからさ。二年前の草原の戦のこと、詳しく教えてほしいんだ。マサキ先生が、それにどうかかわっていたのかも」
サトとレムは一度、お互いに顔を見合わせ、目線でどうするか相談し合っていたが、ややあってそれを承諾した。
「二年前の草原の戦は、一つの誤報から始まった」
夕飯を食べ終わった後、同じテーブルにサトとディアン、そしてデビが座っていた。リーズは後片付けに奮闘しており、今はまだキッチンに引っ込んだままだ。そしてレムはと言えば、さすがにザラの帰りが遅いので、作ってもらった夕飯を片手に迎えに行くと言って、出て行ってしまった。まぁ、仕方ないだろう。少なくとも、サトさえいれば事は足りていたのだから。なんといっても、社会科の教師だ。これほどまでに詳しい人もいない。
「誤報……って?」
「国内に火影が侵入したっていうね。実際には火影は、その時にはまだ侵入してなかったんだけど。つまり、実際の侵入とはタイムラグが発生したってことさ」
「でも、その誤報がなんで戦の引き金になったんだ?」
「……。引き金と言えばおかしいかもしれないけど……。でもそれが原因で、あんな大事に至ったと言えばいいかな。僕も当時の詳しいことまでは分からないけど、この最初の誤報の時に、真っ先に現場へと急行した部隊があるんだ。竜の国、第十三番隊、通称「竜忌」。 ディアン」
サトは正面に座っていたディアンに手を差し出すと、「さっき、レスに突き付けてた写真を見せてほしい」と言った。ディアンが、ポケットに押し込んでいたそれを差し出すと、それをテーブルの上に広げ、サトは確認するように写真を見つめた。
「……やっぱり。この黒地に赤いジッパーラインの入ったコートが、当時「竜忌」のトレードマークだった。今、レスが着ているのもきっとそれなんだと思うよ」
「その「竜忌」が、真っ先に現場について、それからどうしたんだ?」
話の続きを急かすようにディアンが言う。サトが少し言いにくそうに口を閉じていると、「そこからが謎なのさ」と、作業を終えたリーズが戻ってきてそう続けた。
「謎?」
「彼らの身に何があったのか、それを知る事ができないんだ。当事者は、唯一、レスだけになってしまったからね。……ともかく、分かっている事実だけを述べれば、こうなる。「竜忌」は、竜の国でも選りすぐりの戦士を集めた特攻部隊だった。その部隊に所属していた三十二名は、レスを除いて、全員戦死した」
すべてを焼き尽くす恐ろしい業火にその身を焼かれて。
「戦場を焼いた火は、運の悪いことに草原から近くの山中へと燃え広がり、山中を避難だった村民を巻き込んで、大火事に発展した。幸い、火に囲まれる前に村民達は脱出して、こちらは死者を出さずにすんだが、多くの重軽傷者をだすことになったんだ。火の勢いは止まらず、十三番隊の誰とも連絡が付かないと分かった時には、すでに火は俺達みたいな一般の戦士じゃ消せないほどに燃え広がっていたのさ」
「マサ先生やユウイ先生、その他の上級の戦士達が懸命の消火活動を行って、どうにか消せたぐらいでね。……、もう消えた時にはみんなが諦めていた。この火に呑まれた人は全員死んだだろうってね」
「……でも、生きてたんだよな? マサキ先生が」
「……。そう。彼だけが、奇跡的に火の気が回らなかった河原まで逃げ延びていたんだ。そうなると、他にも誰か生きているんじゃないかって、みんな総出で同じ河原を探したさ。……でも、誰も見つからなかった。完全に火が消えてから、山中に踏み込んだ兵士達が見たのは、火元近くにあった、骨さえ原型を留められないくらいにまで焼かれた、「竜忌」のメンバーの遺体らしきものだったそうだよ」
ディアンの隣に座っていたデビが、青い顔をして目を伏せた。どうやら想像してしまったらしい。それに気付いたサトは話を打ち切ると、デビのそばに寄って、その背をさすりながら「大丈夫?」と尋ねた。
青い顔のまま、「大丈夫」と答えたものの、頭の中で嫌な映像を思い描いているらしいデビは、そのまま黙り込む。そんな弟に、「無理することないよ」とサトは言った。
「気分が悪いなら、横になった方がいいよ、デビ。リーズ、いいだろ?」
「あぁ。リビングのソファか、なんならベッドでもいいし」
そう言ったリーズの目が、そのままディアンへと向く。ディアンは、それには気付かない。俯いて、ひたすら何かを考えていた。いや、考えるというよりも、思い出してしまうのだ。あの時の、周囲から向けられる目。憎しみがたくさん詰まったその目は、すべて自分に向けられている。自分以外の全員が死んだと聞いて、胸が抉られたような気がした。
「ディアン?」
リーズの声がして、はっと顔を上げる。見慣れた家具と、心配そうにのぞき込んでいる顔が見えた途端、先ほどまでの気持ちは一気に引いていった。
「お前は大丈夫か? さっきからお前がやけに静かで……兄ちゃんは心配なんだが」
「だ、大丈夫だって! 確かに嫌な想像しちゃったけど、デビほどじゃないし。それで、サトさん」
デビの介抱の途中だったサトが、なんだいと顔をディアンに向ける。もう、この話をするのは嫌なんだけどなぁと言う顔をしているのをみて、ディアンは一度言葉に詰まったが、それでもこう聞いた。
「その後、マサキ先生ってどこにいたの?」
「……どこで何をしてたかってことだね? マサキ、いや、失盗レスはその事件のあと、軍に拘束されてそのまま裏切りを自白、監獄へ幽閉ということになったんだけど……」
「ゆうへい?」
「捕まって牢獄行きってこと」
「……だったら、どうして先生は外にいるの?」
青い顔のまま、デビがそう尋ねる。サトは、それは……と、言葉を詰まらせた。
「こう言うのは、とても悔しいことではあるんだけど……。分からないんだ」
「分からない?! サトさんでも?」
「ディアン、サトがなんでも知ってると思ったら大間違いだぞ? まぁ、兄ちゃんも何でかは知らないけど」
「兄ちゃんには最初から聞いてないよ」
うなだれたリーズをよそに、ディアンはサトをみる。困ったように、サトもディアンを見返した。
「……まぁ、自分の先生のことくらい、知っておきたいって気持ちは分かるよ。でもねぇ、こればっかりは僕にもどうにもできないよ、ディアン。僕らだって、マサ先生にこう言われたんだから。直接、本人に聞けって。その本人が、全くしゃべってくれないからこっちは困ってるっていうのにね」
「じゃぁ、マサ先生に聞けば分かる?」
「それに関して言うなら、マサ先生を説得できるなら、だね。正直、僕はマサ先生自身も彼のことを詳しく知らないんじゃないかと思うんだけど」
「マサ先生は、重要なことなら全部話すはずだぜ。話さないってことは、その話が重要じゃないか、もしくは情報として流せるほど確かなものじゃないかとのいずれかだ」
うなだれていたリーズがそう付け足す。彼はディアンに目を向けて、渋い顔をした。
「なぁ、ディアン。お前も、俺と同じでお節介焼きだってことは、兄ちゃんも痛いほど分かってるけどさ。今回は、止めとけ。あいつに関わるのだけは」
「兄ちゃん? なんで?」
「嫌な予感がするんだよ。勘だ、勘」
実際、お前の体調もさっきからあんまり良くなさそうだし……。
同意を求めるようにサトの方へ視線を向けながら、リーズは続ける。当のサトはデビの介抱をするのに必死でそれに気付いてはいなかったが、リーズはかまわず続けた。
「正直俺も、あんまり気分が良くないんだ。あいつを掴んだ右手が、やけに冷たくて……。まるで、ずっと氷水の中に手を突っ込んでるみたいでさ。お前も、あいつに近づいてたし、もしかしたらって」
「だ、大丈夫だよ、俺はっ! 寒くなんかないっ!」
咄嗟に嘘をついたディアンは、リーズの顔が険しくなっているのをみた。明らかに嘘をついているのがばれている。
「……そうまでして、なんでお前があいつを庇うんだ。兄ちゃんはそっちの方が気になるね! あいつになんか言われたのかっ?!」
「ちが、違うよっ! そうじゃないっ! 俺はただ……!」
そこまで言った時、今まで感じたことのない寒気に襲われた。足先から手先まで、一気に寒気が回って、体が固まってしまう。声も出なくなった。
リーズが慌ててディアンの体を支える。それに気がついて、サトとデビが振り返って自分をみる。そこまで視界に入ってところで、ディアンは意識を失った。
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