紅露と黒巳と紫陽花のオリジナル小話不定期連載中
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久々すぎて、管理ページに何度も入場拒否された。もう一日過ぎてもいいやってふてくされてたらやっと入れた。どうもネットには嫌われている感があるなぁ、私は。
ってわけで、一応一日すぎちゃったけど、置きに来た父の日特別編の続き。ただし、中編の下だがな。最後のおちはまだかけてません(えっ) まぁ、どうにかするよー。明日もまた仕事だけど、息抜きにポチポチやってやるさー。
ってわけで、一応一日すぎちゃったけど、置きに来た父の日特別編の続き。ただし、中編の下だがな。最後のおちはまだかけてません(えっ) まぁ、どうにかするよー。明日もまた仕事だけど、息抜きにポチポチやってやるさー。
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に、ついになったわけです。そして仕事始まって二週間。目の前のことで手一杯。来週の自分が何をしているかも見えません。創作の余裕もなし。
じゃあ何をしに来たのかというと、一応前に書いた物を置きに。
両想いを書いてみよう、ということで。私の精一杯の両想い…―とは何か、みたいな。
じゃあ何をしに来たのかというと、一応前に書いた物を置きに。
両想いを書いてみよう、ということで。私の精一杯の両想い…―とは何か、みたいな。
大掃除で全部終わらなくて、結局いまだにちまちまと机の中を片付けている黒巳です。
昔使ってたメモ帳を捨てました。ネタ帳という程のものでもなく、ふと思いついた断片とか、いずれ発展させて話にできないかな、と思ってたものとか色々と。あらためて見ると、もう使わんよなあ、というものが多く。たいていは書いた時の自分が遠すぎて、もはやよく分からないものになっています。
で、貧乏性発動して、一部だけここに置いておくことにしました。もしかしたら既出のものもあるかもしれません。
最近漱石の短篇集を読んでいたら、「野分」の中に、前回書いた話のふたりにぴったりな表現を見つけました。
「天下に親しきものが只一人あつて、只此一人より外に親しきものを見出し得ぬとき、此一人は親でもある。兄弟でもある。さては愛人でもある。」
いや友人関係の説明なんですけどね。(つまり前回の向坂は友達いない)
傍から見ると友人としか表現のしようがないんだけれど、でも一口で説明しきれない諸々を含んでいて、そのどれかで言い表すと、それ以外の要素が拾えなくなってしまう、そんな関係はあると思います。
というか、私がそんな関係が好物というか、なんというか…。
これに限らず、漱石を読んでいると「そうだ、これだっ」と思わされることが多いです。自分が持っている感覚や、考えの、うまくまとまっていないもやもやを適切に言葉にされているのに出くわすと、「やられた!」という気分になります。
つまり私は漱石が好きです。
つづきにイタイポエムみたいなのが入ってます。若さってイタイ。
昔使ってたメモ帳を捨てました。ネタ帳という程のものでもなく、ふと思いついた断片とか、いずれ発展させて話にできないかな、と思ってたものとか色々と。あらためて見ると、もう使わんよなあ、というものが多く。たいていは書いた時の自分が遠すぎて、もはやよく分からないものになっています。
で、貧乏性発動して、一部だけここに置いておくことにしました。もしかしたら既出のものもあるかもしれません。
最近漱石の短篇集を読んでいたら、「野分」の中に、前回書いた話のふたりにぴったりな表現を見つけました。
「天下に親しきものが只一人あつて、只此一人より外に親しきものを見出し得ぬとき、此一人は親でもある。兄弟でもある。さては愛人でもある。」
いや友人関係の説明なんですけどね。(つまり前回の向坂は友達いない)
傍から見ると友人としか表現のしようがないんだけれど、でも一口で説明しきれない諸々を含んでいて、そのどれかで言い表すと、それ以外の要素が拾えなくなってしまう、そんな関係はあると思います。
というか、私がそんな関係が好物というか、なんというか…。
これに限らず、漱石を読んでいると「そうだ、これだっ」と思わされることが多いです。自分が持っている感覚や、考えの、うまくまとまっていないもやもやを適切に言葉にされているのに出くわすと、「やられた!」という気分になります。
つまり私は漱石が好きです。
つづきにイタイポエムみたいなのが入ってます。若さってイタイ。
なんか書きたいな-、と思ってるんですけど、話が考えられない。ので、書きたいとこだけ書いてみた。折角なので載せてみます。
こないだはじめて大阪城行きました。随所で使われている石材が最早岩、っていう大きさですごかったです。権力を誇示する目的なのでしょう。恐れ入りはしないけどすごいとは思う。
お堀でかもが戯れているのを見ていたら、一緒にいた子に突然「黒巳ってかもに似てるよね」と言われました。かもって、初めて言われました。かもねぎ的なかもじゃないですよね?なんで鴨。
今までたとえられたことのある動物→猫・小熊(子供の頃)、仔犬、モルモット、うさぎ、そして今回鴨。
なんだかだんだん弱くなっている気がする。そして基本簡単に持ち上げられてしまうものなのですが。言われてみても自分ではなんで?というものばかりで、人から見えている自分というのはある意味興味深いです。お互いに全く同じ見方はできないからこそ。
こないだはじめて大阪城行きました。随所で使われている石材が最早岩、っていう大きさですごかったです。権力を誇示する目的なのでしょう。恐れ入りはしないけどすごいとは思う。
お堀でかもが戯れているのを見ていたら、一緒にいた子に突然「黒巳ってかもに似てるよね」と言われました。かもって、初めて言われました。かもねぎ的なかもじゃないですよね?なんで鴨。
今までたとえられたことのある動物→猫・小熊(子供の頃)、仔犬、モルモット、うさぎ、そして今回鴨。
なんだかだんだん弱くなっている気がする。そして基本簡単に持ち上げられてしまうものなのですが。言われてみても自分ではなんで?というものばかりで、人から見えている自分というのはある意味興味深いです。お互いに全く同じ見方はできないからこそ。
初詣で引いたおみくじに
いつかわれ苦しき海に沈みゆく 人みな救う綱をおろさん
って書いてあったんですけど、他にも慈愛の心を~とか。一体私は何を求められているの。弟が引いた自分の進む道は自分だけが~みたいな、高村光太郎みたいなのに比べてこれは…。どういう年になるのでしょう。
元旦から、年末に読んだ本に出てくる虎を救う方法を考えていました。
私の読書体験の原点にある一冊。その中でも特に印象に残っていた話です。エロシェンコと中島敦のせいで、私の中の虎という生き物に対するイメージが大分やるせないものになっています。
考えても考えてもあの虎を救う方法が見つからなくて。私はあの虎を幸せにしてやりたいと小さい時も思っていたのですが、幸せって何だろうとか、果ては幸せになる必要ってあるんだろうかとか考えはじめてしまってクッションに顔を埋めて悩んでるところを弟に見られて「お前なにしてんの」って言われました。説明し難い。
理不尽に我慢がならなくて、閉じ込められているものを助けようとして、でもむこうは助けられることを望んでいなくて、相手を傷つけて自分も傷だらけになって、結局だれも助けられなくて、最後には罰を受ける虎の話です。
すごく好きな話なんですが、友人に勧めたら、そろって「それ本当に童話なの?」と聞かれました。やや引かれました。いい話なんですよー。
つづきに前回の続き。
いつかわれ苦しき海に沈みゆく 人みな救う綱をおろさん
って書いてあったんですけど、他にも慈愛の心を~とか。一体私は何を求められているの。弟が引いた自分の進む道は自分だけが~みたいな、高村光太郎みたいなのに比べてこれは…。どういう年になるのでしょう。
元旦から、年末に読んだ本に出てくる虎を救う方法を考えていました。
私の読書体験の原点にある一冊。その中でも特に印象に残っていた話です。エロシェンコと中島敦のせいで、私の中の虎という生き物に対するイメージが大分やるせないものになっています。
考えても考えてもあの虎を救う方法が見つからなくて。私はあの虎を幸せにしてやりたいと小さい時も思っていたのですが、幸せって何だろうとか、果ては幸せになる必要ってあるんだろうかとか考えはじめてしまってクッションに顔を埋めて悩んでるところを弟に見られて「お前なにしてんの」って言われました。説明し難い。
理不尽に我慢がならなくて、閉じ込められているものを助けようとして、でもむこうは助けられることを望んでいなくて、相手を傷つけて自分も傷だらけになって、結局だれも助けられなくて、最後には罰を受ける虎の話です。
すごく好きな話なんですが、友人に勧めたら、そろって「それ本当に童話なの?」と聞かれました。やや引かれました。いい話なんですよー。
つづきに前回の続き。