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とりあえず今回はちょっと長いめです。
「おまえ―なんでこんな所に」
「わしはもともと一箇所には留まっとらん。それより鬼の仔、今日は一人なのじゃな。もう人の子とは別れたのか?」
驚く彪に対し、白い鬼はあくまで淡々とした様子だ。以前会った時とほとんど寸分違わぬ姿で、ただ一点、その真白い髪の一部に黄色い組紐が結わえ付けられているのだけが目を引く。
「架楠とはまだ一緒だ。別れる予定もねえ」
つっけんどんにそう返すと、白い鬼は大きな口でふ、と笑った。
「そりゃあ結構。じゃが、もう十年も保ちはすまい。それまでには決めんといかんじゃろう」
「十年後だって一緒にいる!」
相変わらず平然と別れを説く白い鬼に、彪は苛立つ。
「じゃが、おまえはこちらの世界のものではない。長くいるほど、違和も大きうなる。それとも、人の子をあちらに連れてゆくか?」
「このままこっちで暮らす。架楠や青蓮と」
「あちらに懐かしいものはないのか?それにおまえ、どうやら知らんらしいのう」
「何をだ?」
整った柳眉を少うしだけ動かして、白い鬼が言う。
「あちらの世界のものは、こちらの世界とは完全に混ざることはできんのじゃ。幼いうちならまだ良い。まだはっきりと所属は分かたれておらんから、ごくごく幼いうちにこちらとあちらを渡ったものは、稀にそのまま馴染むこともあるという。じゃが普通、長く留まることはそれだけ存在を危うくさせる」
「どういう意味だよ」
まだ子供である彪には、はっきりと捉えられない感覚がある。彪をこちらに連れてきた父は知っていたような、そんな感覚があったのではないかという気がする。
問い返しながらも嫌な予感はしていた。
彪も恐らく、なんとなくは知っていたのだ。
「成人したあちらのものは、長くこちらに留まることはできない。薄れて消えてしまうのじゃ。どうしても留まりたければ、あちらとこちらの境が薄くなっとる所に棲み着くしかないが、それをすりゃあ、その土地から離れられんようになる。―今のままの生活は続けれられん」
鬼は言葉を切った。
日が沈んで、薄暗くなってきている景色の中で、樹上の鬼の白さは際だってきている。だが今の彪の目にはどんな光景も、どこか自身と遠いことのように、ぼんやりとしか映らない。
告げられた言葉の意味が、ぐるぐると頭の中を巡っている。
ずっとこのまま三人で暮らしていこうと思っていた。本当にずっと同じでいられると無条件で信じていたのではないけれど、それでもそんな明確な障害があるとは考えてこなかった。当たり前だ。だって知らなかった。
十年、と言われた。それは短くはないかもしれないが、漠然と考えていたそれより、確実に早い時限には違いなかった。
今更ながらに、懐かしいものはないのかという問いかけまでがよみがえってくる。
架楠や青蓮と別れる気はない。それはなかったが、それでも帰らない、と帰れない、では全然違う。
懐かしいと思い出すことは最近ではほとんどなかった。だがあちらには、今は亡き父との思い出が溢れている。帰れないと思うと、一気にそれらが頭を駆け巡って、そこから先に思考が進まなくなった。
彪は決してあちらに帰りたくないわけではないのだ。
沈黙した彪を、白い鬼は立てた膝に肘をついた姿勢でとっくりと眺めていたが、ややあって口を開いた。
「のう。何れ別れるなら、ながく共にいるほどに別れは辛うなるぞ。ここで遭うたのも何かの縁じゃ。わしと来るか?あちらに連れかえってやろう」
「……っ」
目眩がする。
彪の父はもう、あちらに帰ったところで居はしない。あるのは思い出だけだ。
しかしこちらに居続ければ、向こう十年の内には彪は確実に二人の重荷になる。今、三人が旅をしているのは、皆ひとところに落ち着けない理由があるからだ。彪は鬼だし、架楠はこの地では異形と呼ばれる。そして青蓮は鬼を見る目を持っている。そういう者は引き寄せやすい。青蓮が身につけている邪と対抗する術は、そもそも自身を守るものだった。
避け難く別れは来る。確実に。
青連は川を背に鎮座する神社の境内にいた。社(やしろ)はひっそりとして、川の音ばかりがごうごうと響く。
「お久しぶりね。おキヨさん」
黄昏時の境内には、女が一人、青蓮を待っていた。
「みさをさま…」
「私のこと、覚えていてくれたのね。茶屋でも気づかない風だったから、もしかしたら手紙を見ても分からないのじゃないかと思っていたわ。覚えていたのなら、何か一言でもいいから、便りを下さればよかったのに」
女はにこりとして言った。
「息子を最後に見たのはあなたなのだから」
ぐう、と青蓮の顔が歪む。あの時の赤子の重みが腕に蘇るような気すらして、体の内側に寒気が広がる。
「翌日には雨が降ったから、あなたはお役目を全うしたのだと皆思ったわ。けれど、ねぇ?どうしてあなたは姿を消したの?」
「…お役目を果たせばすぐにでも奥田様にご報告にいくべきだったところを、申し訳ありません…」
青連の声は震えていた。
説明をしなければと思う。目の前の女(ひと)にはそれを聞く権利がある。赤子がどうなったか、夫がどうなったか。母であり妻である彼女には知る権利がある。けれどどう説明すれば良いのだろう。あの時のことを。あの鬼のことを。道々考えていたにも関わらず、結局上手い言葉が見つからないままだ。
青連の口は中途半端に開かれたまま、いっこうに語り出さない。まるで喉の奥に何か詰まってしまったようだ。
「…………」
疑問に答えない青連を、目を細めて見ていた女は、ふと思い出したように話題を変えた。
「ところであなたは知っているかしら。行方不明(ゆくえしれず)のあなたを捜していた人が見つけたのだけれど、祠の前に、勘右衛門様の遺体が―」
ざっ、と青連の顔から血の気が引いた。青ざめた顔はこの薄明かりでは見られなかっただろうが、動揺は恐らく伝わった。だが女は構わず続ける。
「それで結局あなたは見つからないでしょう?そのうちつまらない憶測をする人まで出てきてしまって。私の夫は、恋人に殺されたのではないか、と―。私随分待ったのよ。あなたから何か説明があるのではないかと」
「ご存じだったんですか…」
「隠すつもりだったのなら、あなたも勘右衛門様もあからさま過ぎたわよ。嫁いですぐに気がついたわ」
まだ小娘だった当時の自分が思い起こされて、恥ずかしくなる。本当にあの時の青蓮―いや、キヨは、彼しか見えていなかった。
「謝らなくてもいいわ。私たちの縁談自体急だったんですもの。私も勘右衛門様の事情など知らなかった」
口を開きかけた青蓮を制して、美しい花嫁だった人が言う。
「あなたが勘右衛門様を殺したの?」
容赦のない問いだった。
じわじわと追い詰めるように紡がれていた言の葉が、漸く核心に辿り着いたように青蓮は感じた。恐れていたと同時に、ずっと待っていた言葉だ。
どう言ったところで言い訳のようにしか聞こえないだろう、そう思いながらも、彼女には真実を伝えなければいけないと、その思いだけが、やっと青蓮の口を開けさせた。
「いいえ。私着いた時には既に」
そう答えながら、自身ですら言い訳をしているように感じて、後ろめたさが青蓮の胸を刺す。鬼が青蓮の中に残していった傷が疼(うず)いている。
「けれど助けられたかもしれません。あの時私が……」
一度言葉を途切らせてから、意を決して青連は顔を上げ、正面からみさをを見つめた。
「みさを様、長くなるかもしれませんが、お話しさせて頂けますか。遅くなって申し訳ありませんでしたが、私の口からきちんとご説明します」
しかし、みさをは首を縦ではなく横に振った。
「っなぜですか!?それを聞く為だったのでは…?」
思いがけないみさをの態度に、青連の声が高く跳ねる。けれどみさをはきっぱりともう一度首を振ってみせた。
「聞きたくないわけではないのよ。たしかに、勘右衛門様の死の真相を知るために来たんですもの。でも今日、あなたを呼び出した一番の目的はそれではないの」
そう言われて青連は困惑した。てっきりみさをはそのことを聞きに来たのだと思い込んでいたし、だからこそ自分も覚悟をしてきたのだ。全てを話した上で、詰(なじ)られ罵(ののし)られ怨(うら)まれても仕方がないと思っていた。だというのに、話は予想外の方向に進路を取ろうとしている。
「今日茶屋であなた達を見て驚いたわ。ねえおキヨさん、―どちらが私の子なの?」
つづく
再登場キャラが云々というより、今回そもそも新キャラいません。この方も話だけ出てましたが、最終話考えていたら、いきなり立ち上がってきたかたです。みさをさま。薄幸の未亡人です。